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ヘンリー・フールのまぁやのレビュー・感想・評価

ヘンリー・フール(1997年製作の映画)
4.2
1997
ハル・ハートリー監督
今から20年以上前の作品とは思えないほど新鮮な味わいで、しかも予言に満ちた作品である。

サイモンは清掃人夫として変わりばえのしない日々を送っていた。姉のフェイは明るい気性だが奔放で、母親は鬱病で薬漬けの毎日。サイモンとフェイは母親の面倒を見ながら自分の人生は置き去りにしている。そんなある日得たいの知れない男ヘンリーが現れて一家の生活を丸ごと変えてしまった。

ヘンリーという男は不思議な男である。彼がもしも近所に住んでいたらと思うとゾッとするのだけど、決して嫌いにはなれないだろう、そんな奇妙な魅力を持った男なのである。彼は定職に就かず自称作家活動として彼なりのクリエイティブさで日々を送っている。
カフェに集う近所の住人はビールやら煙草を買う小銭を無心されるのだけど、誰一人邪険にせずヘンリーにお金を手渡す。まるで、ヘンリーの存在価値に対してお金を払っているような、そんな錯覚に陥った。

彼は口下手で自分のことを上手く表現できないサイモンにノートと鉛筆を渡し、そこに自分の想いを綴るよう命ずる。果たしてそこでヘンリーとサイモンは暗黙の師弟関係を結び、以後サイモンはヘンリーの命ずるまま詩作へと没頭していく。

サイモンの非凡さをいち早く見抜いたヘンリーのプロデュース能力は驚くべきもので、サイモンの詩が人々のこころに化学反応を起こすことを見越し、小さなところから人々の反応を拾っていった。詩をよんで歌を奏でる者。激しい怒りで暴言を吐く者。サイモンをリスペクトし学校の新聞に掲載したいと願う者。様々なウエーブが起こり、人々のこころを撹拌していった。

サイモンは実に真面目な生徒で、仕事を辞めて詩作に没頭するよう指示を受けるとすぐさま実行に移し、粛々と作品を作り続けた。ヘンリーの出現でサイモンの才能が萌芽し、あるべき姿に変容していく。その様はとても静かな力強さに満ちやっと彼が本来の姿に戻れたような安心感を感じさせた。

サイモンは家族から愛されていたけれど、口の重さから無能呼ばわりされ、愚鈍なもののように扱われていた。家族がそう扱うのだから、その他の人間たちはもっと容赦なくサイモンを痛め付ける。だが、彼は詩を通して外界と繋がり、彼に与えられた評価を次々と破壊していった。そしてその道筋を与えてくれたのがヘンリー・フール。

敏腕編集者に作品を酷評されすっかり自信を失くしたサイモンに投げかけた質問が秀逸だった。
「誰がなんと言おうとも、お前自身は、お前の作品を駄目だとけなすことができるのか?」
出来ないと答えたサイモンは、この時に誰に依存することもなく、自らの意思で立つという意味を知ったのだと思う。
本作で見るヘンリーの魅力というのは、そこに尽きるんじゃないかな。定職にも就かず、周りにお金を恵んでもらいながらパラサイトする生活を送っていても、そんな自分を蔑む視点は一切なく、自分に与えられた時間をすべて衝動の赴くまま自由に生き、自らの作品「告白」を完成させることに費やしている。
ヘンリーを見ていると自分の人生を評価するのは自分自身で、他者に委ねてはいけないなと気づかされる。どうしようもないひどい男なのに、時々神々しく見えてしまうから本当に不思議な男である。
数年後にもう一度見返してみたくなる素晴らしい作品だった。


追記
20数年前ながら、アメリカの当時すでに移民問題等で鬱屈した人々の心の様子が描かれており、なるほどこの流れが後のトランプ政権に繋がったのかと膝を打った。インターネットの影響力にも注視しており、監督の先見性に感心する。
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