飯

心中天網島の飯のレビュー・感想・評価

心中天網島(1969年製作の映画)
4.2
「即興パフォーマンス」

シークエンスの少なさで(10個未満)舞台表現と映画言語の境界線を打破することと、外力を削減し、ナラティブをパフォーマンスに切り替えること。
情緒が爆発する寸前、ディープフォーカス+ロングショットで俳優をシーンに閉じ込め、感情を一気に爆発させる。

黒子の存在はdefamiliarization effectを作り出す以外に、外界の介入でパフォーマンスを強調する方法でもある。黒子は、人物の行動を導き、関与し、さらに(人形浄瑠璃のように)操る。彼らの視点から人物の境遇も反映される。(窓外は牢屋のような構図)

このような一連の操作を通してパフォーマンスと形式至上となり、それで「悲劇の真実感」を観客に与える。また、社会視点の欠如も補充させる。

『紅楼夢』の中で林黛玉が香菱に詩を教えている時、「不以词害意」(詞や修辞を重んじじると、詩の本当の意味が阻害されてしまう)という観点を伝えた。本作は形式の方がやや強い存在感がある、けれど、「天井桟敷」だけ出てくれればなんでも最高に見えてしまうのよ。(個人的偏見すぎる)
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