Sari

女はそれを待っているのSariのネタバレレビュー・内容・結末

女はそれを待っている(1958年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

第11回カンヌ映画祭監督賞、4人の女優が同作で揃って女優賞を受賞するという快挙を成した名作ドラマ。『処女の泉』と同じ女流作家ウルラ・イザクソン脚本。

病棟を舞台に「妊娠」と「出産」を巡り、三人の女性の運命を描き出していく。

突然出血が始まり、夫に大病院に連れてこられた妊娠2ヶ月のセシリア(イングリット・チューリン)は、2人の患者と同室で入院する。
1人は不安気な妊婦のヨルディス(ヒビ・アンデーション)。もう1人の妊婦は陽気なスチーナ(エヴァ・ダールバッグ)。セシリアの夫はエルランド・ヨセフソン、スチーナの夫はマックス・フォン・シドーが演じ、ベルイマン組が勢揃いである。

セシリアは、夫からの愛を感じられない上、夫を支えられるほど強くない自分は一人で生きていくのが望ましいと離婚を考え、子供を産みたくないと思っていたが、結局は流産してしまう。
流産した女性と、これから出産を迎える女性ふたりと同室内という状況から既に残酷である。

ヨルディスは、妊娠を知ったお腹の父親の男には捨てられ、田舎の実家に暮らす母親には、「妊娠して帰ってくるな」と宣言されており、シングルマザーになる覚悟も出来ず、子供を産みたくないと考えている若い女性。
スチーナは、夫と子供の誕生を待ちきれず未来に希望を抱き、健康そのものの妊婦であるが、他のふたりと対象的に彼女の幸福そうな姿が描かれるため、その後に不安を覚えた。

スチーナに陣痛が始まり、「これが人生というものよ!」と嬉々として分娩室に向かった後は、女として耐えがたいものだった。
尋常ではない絶叫を上げて陣痛に苦しむ姿、麻酔を打たれ人形のようになって病室に戻ってきたスチーナの姿が壮絶。
安易にハッピーエンドを描かないベルイマンだと分かっていても、ドキュメンタリーのように生々しい描写が恐怖を増している。
望む者には与えられず、望まない者には与えられるという無慈悲な現実。

セシリアは夫の姉に諭され、もう一度夫と話し合う事を決意し、またヨルディスは電話をかけた母親から温かい言葉を投げられ病院を出るエンディングが救いである。
妊娠とは幸福と共にある危険を伴う命がけの体験でもある。不安と孤独、肉体と精神の苦痛、結婚生活の苦悩、母親になるという、女性の現実を抉るように鋭い眼差しで描いた傑作室内劇であった。

本作の製作を最期に、女性に囲まれてのこのような仕事は二度とやりたくないと、ベルイマンでさえ語ったそう。
実在する病棟に潜入した撮影は、虚構と現実を超え、ベルイマンほどの男性でもたじろいでしまうというのが過酷さを表している。
後の『叫びとささやき』に通ずる母性を探求した作品であり、下手な恐怖映画より確かに恐ろしい作品である。
主演女優4人共に素晴らしい演技を見せるなか、特にスチーナを演じたエヴァ・ダールバックの熱演には拍手を贈りたい。
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