天馬トビオ

廃市の天馬トビオのレビュー・感想・評価

廃市(1984年製作の映画)
4.0
大林監督作品の特色・特徴を表わすのに、「過ぎ去った過去へのノスタルジー」が挙げられる。ノスタルジー、すなわち「郷愁」と言いかえてもいい。初期の尾道三部作から晩年の作品まで、大林監督はモノクロームの画面に自分のノスタルジーや頭の中で考えた仮想の思い出を封じ込めている。他者の原作を映画化した本作だが、その特徴は顕著に表れている。

もう一つ、結果として本作に封じ込められたものがある。若くて一番きれいだった頃の小林聡美もまた永遠にフィルムにとどめられた。『転校生』の天真爛漫な少女や、のちの個性派女優としての彼女もいいけれど、人生で一番きれいで輝いていた頃の小林聡美が、ここにいる。

――駅に降り立った青年が街へ入った時からずっと続く川(水)の流れる音。低く高く、強く優しく、絶え間なく流れる川の流れ。と同時に、青年の持つ懐中時計はその動きを止める。しかし、青年が街に別れを告げ、乗り込んだ電車が動き出すとともに川(水)の流れる音は止まり、時計は再びを刻み始める。

川(水)の流れと、時を刻む時計――前者は〈死〉や〈滅び〉の象徴として街や人を水底(みなぞこ)の異界に沈め、後者が青年が戻っていく日常世界、〈未来〉や〈時間〉をイメージするものなのだろう。

舞台となった柳川をぼくは訪れたことはない。水路が縦横に行きかうこの古い街は、例えば恩田陸の恐怖小説『月の裏側』でも、名前こそ挙がっていないけれど、読めばここが舞台になっていることには気が付く。いつか訪れてみたい、ノスタルジーの街だ。
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