bluetokyo

クレイジー・ハートのbluetokyoのレビュー・感想・評価

クレイジー・ハート(2009年製作の映画)
3.6
ストーリーはないようなものだが、いかにも映画という感じで好感が持てる。主人公は、カントリーミュージックの歌手、バッドで、むかしは、ヒットも飛ばした有名人だが、いまは、地方の酒場やボーリング場に併設されている小規模なステージをまわっている。
いわゆるドサまわりで、この設定が微妙な立ち位置で秀逸だ。
つまり、バッドは、そこそこには有名なのだが、ツアーといってもスタッフがいるわけではなく、一人でクルマを運転して、地方をまわっている。そういうシーンだけでいいのだから安上がりである。
しかも、そのコンサートシーンがすごくさまになっていて、本当に、こういう歌手、いるよね、という感じなのだ。

そういうわけで、バッドは、地方のあちこちを、酒を呑みながら、ぐでぐでになりつつ、まわっていくのだ。
そんなとき、ひょんなことから、女性記者、ジーンと知りあう。
難を言えば、なぜ、ジーンがバッドに惹かれたのか、説明がないことだ。説明がないが、なんとなくわかる。だが、やっぱり、説明が欲しかった。
おそらく、ジーンは、破滅型の人間に惹かれるのだ。そして、そうした自分が嫌なのである。別れたまえの夫も、バッドと同じような破滅型の人間だったに違いない。
ジーンが最初に、バッドの部屋を訪れたとき、バッドは半裸状態で、なんか女囚ものかなんかの、変なビデオを見ているところ。バッドが裸族なのはわかったけど、破滅型というのは、ちょっと説明になっていない。

バッドの弟子で、いまは、人気歌手になっているトミーの前座の仕事が入る。バッドは当然、屈辱なので嫌がるが、カネもないので仕事を引き受ける。波乱がありそうなのに、このトミーという男は、師匠のバッドを引き立てるし、相談にも乗ってくれる。
そして、なによりも、歌が本格的にうまくて、堂々たる一流歌手ぶりなのだ。コンサートシーンも迫力がある。こういう表現は本当に、映画ならではの醍醐味だ。

ジーンとバッドは急接近。ジーンには4歳の息子がいる。で、バッドの自宅に滞在することになる。最初はうまくいっていたが。
バッドは子守を引き受けるが、酒を呑んでいるうちに迷子になってしまう。
ジーンは、ブチ切れて、息子を連れて帰ってしまう。わたしはいつも、クズ男に振り回されるのよ、という言葉を残して。

バッドは、アルコール依存症の治療を受ける。

しばらくして、ジーンと再会。ジーンは、再婚して幸せな家庭に収まっているらしい。夫は間違いなく、バッドのような破滅型ではないのだろう。
終わり方が爽やかというか、ほろ苦な思い出というか、まあ、そうだよな、という感じ。
bluetokyo

bluetokyo