映画漬廃人伊波興一

ダウン・バイ・ローの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

ダウン・バイ・ロー(1986年製作の映画)
4.2
ある一定のサイクルで観直したとしても、その都度、更新されていく不思議さ。
それこそが生きた映画の証だと思うのです

ジム・ジャームッシュ
「ダウン・バイ・ロー」

昨年のコロナ禍中で公開された「デッド・ドント・ダイ」は、かつての精彩さにはいささか欠けた印象を抱いたものの、これが、あと数年で古希に手が届く作家による作品かと、改めてその不思議な若々しさに驚きました。

例えば「マトリックス・リローデッド」でたったひとりのネオの周りにエージェントが無限に乱舞しても、「ダークナイト」でジョーカーが大病院一棟をボタンひとつで壊滅してもそれなりに楽しめますが、現代のCG技術を持ってすれば誰も不思議に思わないでしょうし、一度でも観てしまえば次回からは(驚き)の御利益はもたらされる事はありません。

ところが阪本順治監督の「鉄拳」や「トカレフ」の中で菅原文太と大和武志が愛犬を介して再会する光景や、歩行者調査をしている主人公が、さしたる根拠もなく息子を誘拐した犯人を確信してしまう場面には文句なしに不思議な驚きがもたらされます。

あるいはアキ・カウリスマキの「浮き雲」の中で絶え間なく続いた不幸の連鎖を一瞬で遮断した満室のレストランを観た時も同様です。
どちらも(こんな事、あり得ないだろう)と、訝りたくなる展開や光景が嘘のような自然さで画面に収まっているからです。

ついでに言えば侯孝賢監督の「冬冬の夏休み」で山田耕作の(赤とんぼ)がまるで台湾の童謡のように違和感なく画面に溶け込んだエンドクレジットも例外ではありません。

そんな不思議な驚きは、その都度間違いなく更新されていきます。
およそ5年に一度観直している「ダウン・バイ・ロー」も、今回の鑑賞で7度目となりましたが、わたくしにはやはり不断に更新されていく不思議さに満ちていました。

ハメられたトム・ウェイツとジョン・ルーリーふたりが投獄された刑務所の牢屋にロベルト・ベニーニが転がり込むように収監され3人トリオが結成された途端、何故こうも画面が活気づいてしまうのか。
どこから見ても殺風景でしかない沼地や、掘立て小屋、そして逃亡犯の3人の為に用意されたようなニコレッタ・ブラスキの住まいが何故、近代美術の才能が集結したような街並みや荘厳さを想起させるような大自然の風景などにもひけをとらない絶対的な空間に見えてしまうのか。

人物相関を辿ってみても、この3人の根拠のない連帯に観ている私たちが何故疑いもなく納得出来るのか。

それまで互いに会った事のないロベルトとニコレッタが結ばれてしまう事に私たちの疑念が一切介入しないのは何故か。

何といってもいちばん不思議な驚きは、全てがオフビートな輩たちばかりなのに犯罪者の匂いどころか誰もが市井のアメリカ人を体現しているような錯覚に誘われる点。

実生活でも夫婦関係のロベルトとニコレッタが大スター同士にしては珍しく40年以上も円満である事実や、ジャームッシュ監督と本来はミュージシャンのジョン・ルーリー、トム・ウェイツの3人が相当な個性派同志なのに、いささかも衝突の翳りも見えてこない関係まで含意すれば、ジャズ用語で(尊敬を得る)、刑務所用語で(支える)という意味を持つこの映画のタイトルdown by lawこそが最も不思議な驚きだと思ってしまいます。