ーcoyolyー

浮草物語のーcoyolyーのレビュー・感想・評価

浮草物語(1934年製作の映画)
3.7
トーキーなのかと思いきやサイレント映画で活動弁士が主役だった。びっくりした。活動弁士の語りが主で活動写真が従。こんなに存在感があるものだったのか。『落語THE MOVIE』観てるみたいだった。活弁士って完全に落語家だったわ。私サイレント映画とトーキーの認識の解像度低かった。サイレントからトーキーへの転換って本当に驚天動地の大事件じゃん。小津安二郎といえば、のローアングル・フィックス・長回しってサイレントじゃできないのよ、サイレントは「活動」しなければならないから。あれができるのって活動写真ではなく映画になったからなのよ、トーキーが発明されなければできなかった表現形態。きっとトーキーになってサイレント時代と同じように人間動かしたら小津にしてみると煩くてかなわなかったんでしょうね。だからトーキーだとあれくらいで丁度良いと思ったんでしょうね小津的には。あれはだから「映画」固有の表現。「活動」時代の小津はローアングルでフィックスではあるけれどもカット割は頻繁に入れてる。そうしないと「活動」の意味がないから常に動かし続けている。声ってこんなに重要な要素だったのか。声というか音の揺らぎがあれば画面は動かなくても別に気にならないんですわ。

活弁士の重要性がなぜこんなに知られてないんだろう?と気になったんですけどこれ日本固有の文化だったんですね。海外にここまで豊かな話芸の文化ないみたい。話芸の土壌があるから生まれた役割だったのか。外国映画のサイレント時代を描く時に活弁士が存在しないからその重要性に気付かなかったのか。

でもこれ日本映画史としては活動写真と活動弁士に関してはしっかり押さえておくべきですよね。私、大学時代に日本映画史の授業を他学科公開で取ってたけどそんなこと教わらなかったよ!教えてよ!教わったのに忘れてたらごめんだけど多分教わってないよ!こういうのこそ日本すごい!で日本のガラパゴスカルチャーとして語り継ぐべきだろう!写真が動くのと話芸が融合してたの日本だけなんでしょう?ちょっとこれは世界に見てもらった方が良い。話芸。言語の壁があるから難しいんだろうけど、日本の話芸のクオリティちょっとおかしいぞ。
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