炭鉱モノってやっぱ名作が多い気がする。ブラスだったり、ブラスとか、ブラス…笑。いや、いまは思い出せないけど多いはず!
そして、そういう名作と言われる炭鉱モノは、炭鉱のイメージからかけ離れたものを中心に描くことが多くて、メロンに生ハムじゃないけど、互いの味を引き出す効果があるように思う。
相反しているからこそ、それが障害となり、互いに感情がぶつけあうことができるわけで、やっぱり洋画ってそういう脚本の作りが上手いな。
おんなじ様に日本映画でもやればいいのに。日本人は正直すぎるのか分からないけど、環境と私しか描こうとしないのは寂しい。そのまま炭鉱でもいいし、国鉄のストでもいいから、なにか違うものと一緒にしてもっと映画をつくればいいのに。
フラガールはそれをやったんだろうけど。
ありえない嘘を使って、本当の歴史を描くずる賢さが、そんな日本映画がもっとあればいいな。
リトルダンサー自体の感想としては、ぜーんぶ良かったんだけど、個人的にダンスの先生に思い入れが強かったから、最後はエリオット家の話ばかりになってしまったのが、少し寂しかった。
血の繋がらない関係だからこそ、感情を通わせる台詞や行動で関係をつくっていくわけで、そうして積み上げたものが最後にどこに行ってしまったのか不思議だった…。