櫻イミト

われらの時代の櫻イミトのレビュー・感想・評価

われらの時代(1959年製作の映画)
3.0
大江健三郎氏の訃報を聞いて鑑賞。

大江の長編二作目である同題小説を出版と同年に映画化。

東大仏文科の学生・南靖男(長門裕之)は、外国人相手の娼婦・頼子(渡辺美佐子)に食わせてもらいながらフランス留学の為の懸賞論文執筆に勤しんでいた。弟の滋はジャズバンド”アンラッキー・ヤングメン”のピアノ弾きだったが、刹那の興奮をもとめて巨悪の根源=財閥の乗った車の手前での手榴弾爆発をメンバーと画策する。。。

「日本人は実に大人しくなりマシタ。何をされても怒らナイ。何が起きても腑抜けのように笑って見てるダケダ。日本の青年は去勢されたように無気力デス。どぶねずみデス。アハハハ。」

頼子の客の米国人に何を言われても言葉を返さない靖男・・・シナリオは原作を辿っていて演出も頑張ってはいるが、”アンラッキー・ヤングメン”のキャスティングと演技が非常に悪く(特に弟)全てが台無しになっていた。原作では天皇暗殺計画だったのを財閥暗殺に変更した事も主題を濁らせている。しかし当時のモダンなジャズ喫茶や前年に竣工したばかりの東京タワー、開業三年目の渋谷東急文化会館など、原作当時の東京の風景が記録されていて資料的価値はあった。


大江健三郎の初期作が好きで1960年代までの著作は夢中で愛読した。当時の作風がWikipediaに的確にまとめられていたので引用メモしておく。

「日米安保体制の下、政治的にアメリカに従属しながらではあるが、それなりの経済的反映や安定を手にしつつあった戦後日本社会(政治的に牝になった国)において、日常生活に埋没することを忌避しながらも、そこでしか生き得ない自分を嫌悪して、狂気や暴力に惹かれていく青年である。彼らは戦争を渇望したり、外国への脱出を希望する。しかし願いは叶うことはなく、やがて破滅して”敗北の確認”といった形で小説は終わる」

60年以上経って日本の政治状況は何も変わっていない。しかし青年像は大きく変わり現在は共感を呼ばないかもしれない。大江文学に度々登場した”政治テロ”に対する見方は全く違うだろう。権威には自ら巻かれていき、暴力の矛先は権力ではなく弱きに向かい、あるいは内に向かい自らを殺す。それが”われらの時代”・・・なのか!?

個人的には思春期に最も大きな影響を受けた作家であり、その思想は現在も自分の中に刻まれている。大雑把に言えば反権力の魂だ。合掌。

※同年の日本映画
「愛と希望の街」大島渚監督デビュー作
「独立愚連隊」岡本喜八監督の出世作
※同年の海外映画
「勝手にしやがれ」
「大人は判ってくれない」
「ヒロシマモナムール/二十四時間の情事」
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