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解夏のkomoのレビュー・感想・評価

解夏(2003年製作の映画)
4.3
小学校教師の隆之(大沢たかお)は、失明する可能性が極めて高いベーチェット病に冒されていることを知り、教師を辞め長崎に帰郷する。迷惑をかけたくないからと、婚約者の陽子(石田ゆり子)に自ら別れを告げていたが、彼女は海外から駆けつけてくれるのだった。
隆之の幼いころの遊び場であった寺に2人で赴くと、そこで務めをする気さくな男性と出会う。
隆之の病について聞いた男性は、『解夏』という、夏の修行が終わる日を表す言葉を教えてくれた。失明の恐怖に怯える隆之に、解夏は来るのだろうか。


【時を表す言葉には心がある】

フィルマの平均点、どうしてこんなに低いんだろう。とても良い映画でした。フォロワーさん方が良い評価をつけていらっしゃったので、そちらを信じて観てみて大正解でした。
さだまさしさん原作ということで、唄の世界観にも似た、人の心のお話でした。

生徒たちから好かれていた人徳高い教師を襲った、突然の失明宣告。
いつか必ず目が見えなくなる。しかしそれがいつなのかはわからない。
そんな宣告を受けて、取り乱さない人はいません。
隆之の感情が露わになる場面はぽつり、ぽつりとあるものの、しかしこの映画のほとんどの場面は淡々と進行します。
静かな会話、長崎の美しい風景の中、身体の一部をジクジクと蝕まれて行く感覚。
聡明で冷静な隆之を演じた大沢たかおさんのお芝居が素晴らしく、日を追うごとの心の動きが見事に表現されています。

終盤、己の運命を受け入れかのように、少し穏やかな面持ちになる隆之。
優しい時間の中で、かつての教え子から届いた沢山の手紙を陽子に代読してもらうシーンがあります。
その手紙のほとんどは子どもらしく他愛のないもの。しかしその中に「先生助けて」というネガティブな手紙も混じっており、隆之は助けに行ってあげられない自分の不甲斐なさに涙します。
ここがとてもリアルでした。
たとえ失明してしまう運命を受け入れたとしても、『目が見えていた頃にできていたこと』ができなくなるのは明白で、それは時が経つほど増えていきます。

この点においても、お寺の男性が教えてくれる『解夏』という言葉は、この作品のテーマを代弁しているかのようで。
隆之にとって、失明への恐怖が終わりを迎えても、そのあとにも人生はまだ続きます。
僧もまた、修行の終わりが僧としての終わりではなく、そこで得た悟りの先のおつとめがあります。

終わりは終わりではなく、時には始まりでもある。
それは過酷なことですが、苦しみの続く人生の中に救いの光を差すのが、まさに『解夏』という言葉。
時や日を表す言葉に価値を見出し、自身の足跡でその言葉をなぞる。
それはとても尊い知恵です。

私はこの主人公ほどの恐れや苦しみに晒されてはいませんが、『解夏』はずっと心に留めておきたい言葉となりました。
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