囚人13号

フォーエヴァー・モーツアルトの囚人13号のネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

正真正銘の遺作が公開されるということで、未登録の中では一番好きなので投稿しようかと。本編に一切触れることなく、数年前に記録はじめた時に書いていたメモが奇跡的に別のところに残ってたので、恥を承知で投稿しておきます



ゴダールだけは未だ本質に踏み込んだ評に出会えてないし、技法面ならゴダール的方法という素晴らしい本があるんだけど、ここでのレビュアー諸氏も心なしかみんな短文になってる気がする(笑)
専門家でもこれだけ曲折を繰り返した複雑な作家を定義するというのは困難の極みと思うけど

しかしニュアンスだけで申すと彼は商業的決別と帰属云々よりも、単に"短絡的なもの"から"長期的なもの"へ推移していったような気がしてならない

制作年以前(勝手にしやがれなら1960年以前)の映画を観まくり、引用される本も読みまくらないと同じ地平へ立つことすら許さないシネフィリーな前期作品群に比べて、「ウイークエンド」以降は毛色が明らかに変わっているように

固有名詞や即物的な剽窃が散見される「勝手にしやがれ」 「はなればなれに」は飽くまでスクリーンや本という平面的次元へ目を向ければ良かったのだが「フレディ・ビアシュへの手紙」を経て「決別」へ向かう中期ゴダールはテクストを越境しサウンドやオフスクリーン領域まで侵食しはじめている

ゆえに"短絡的"なキャリア前期作は飽くまで映画としてその瞬間を生き、楽しむことを許されているのだが"長期的"な「ゴダールのマリア」「カルメンという名の女」はサウンド次元も越えて、観終えた後に記憶装置がイメージを捏造することすら念頭に撮られているとしか思えない
実際マリアなんてひどい映画だなと思ったが今は傑作と実感しつつある
脳内でスクリーンへ色を付ける≒記憶に美を補完させる="映画館を出た瞬間に映画は始まる"という命題はゴダールの口癖だ

そして後期作品群との結節点たる「JLG自画像」は映画を記号的風土へ陥没させつつ、自身を絶対的なゴダール的キャラクターとして登場させてしまう覚悟から作家性が一つ臨界へ向かうように思われるゆえ、これが私的ゴダールベストです

もちろん直後の「フォーエヴァー・モーツァルト」も大傑作だし、それはライフワークや自叙伝というより原体験そのもので、光/イメージの屹立としか言いようのない「映画史」も撮ってた恐ろしく豊かな時代なんだけど、自分の生年に接近するほど新世紀ゴダールは追えてないという不甲斐ない実情が露呈する



ゴダールだけはまともに見てこなかった、感性で太刀打できないという恐れによって逃げ続けてきたが叶うことなら、まだ4歳だった『ゴダール・ソシアリスム』から少し進んで3Dの『さらば、愛の言葉よ』『イメージの本』もサブスクのブルーライトではなく映画館の光を享受したかった
遂にゴダールの本質へ間に合わなかったことが無念でならない
囚人13号

囚人13号