垂直落下式サミング

おかしな、おかしな、おかしな世界の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

5.0
ある男が35万ドルの隠し資金の在処を死の間際に洩らし、その場に居合わせた者たちが争奪戦を繰り広げる。我先に大金を手中におさめんと、皆が他人よりも抜きん出ようとしゃかりきにお宝を目指し、恥も外聞もなく一心不乱に並走するものを蹴落とす。そのうち秘密を知るものの数が雪だるま式に膨らんでいくが、そいつらみんな揃いも揃って過剰にバカという絶望。絶対うまくいくわけない方向に大質量の無知性どもが団子になって転がり落ちていく快感に悶える。
冒頭のソール・バスによるグラフィックデザインはおしゃれで可愛くて大好き。本作は彼の仕事のなかでも楽しさ重視で可愛さがマッハ。それにアーネスト・ゴールドの優雅なスコアが重なって、観客にこの長丁場を耐えさせるため(かどうかはわからないが)幸福感を全開に醸し出していく。
以前から好きな作品ではあったんだけど、今になって冷静に見返してみると、ずっとパワー系ギャグ一辺倒な上に、昔の映画とは言え緩急の付けかたが大げさ過ぎるし、それを繋げていく編集のキレ味が良いとも言えない。耐用年数の過ぎたゆったり悠長なスラップスティックである。これで最初から最後まで笑い転げていた自分がこわい。あの頃は箸が転がってもおかしいくらいキマってたんだろうな。
映画は、目の前のドタバタをそのまま笑うために徹しており、次から次に繰り出されるギャグは実に単純明快。大騒ぎするババア、ヘタレな婿養子、スノッブの歯医者、デブとチビのコンビ、トラック野郎、嘘つき、イギリス人、マザコンのサイコ、これと言って特徴はないがとりあえず後から付いてくるバカども、これらが織り成す回りくどくない直截的な笑いは、バグった感情の処方箋である。
再度鑑賞したことで自分のなかでの評価を下げてしまうことは少なくないが、余裕をもった豊かな心で鑑賞することで、前よりもさらに好き度が増した珍しい例。本作はむしろこれからもずっと見続けていきたい。そんな人生の一本として手元に置いておきたいと、この映画への特別な思いを強くすることとなった。
何故なら、最後なぜか感動して泣いてしまったからだ。不憫で可哀想だったカルペッパー警部が病室で大声をあげて笑いだすラストシーンで涙がこぼれてしまった。自分の不幸な人生を笑い飛ばす彼の強がりに、当時虫のような生活をしていた僕の心は少なからず救われていたのかもしれない。時間をおいて見返さないと気付けない新しい発見だ。これだから映画はおもしろい。
飛行機や自動車の派手なアクションのみせかたは流石のハリウッドであるし、キャストも体を張っていて、ガソリンスタンドを倒壊させたり、車ごと川に浸かったり、激しい争奪戦を彩るコミカルなオーバーアクションの数々に拍手喝采。
特にカーチェイス!60年代のアメ車は、猛スピードでカーブするとタイヤが沈んで片側に重心がガクンと傾き、クラッシュしてタイヤが浮き上がると、地面との摩擦がなくなり股間がヒュッとする。最新のスポーツカーは気が利きすぎる。あまり乗り心地のよくないレトロな車のほうが、慣性の法則や運動エネルギー保存則をより皮膚感覚に感じられて幸せだ(癖)。
驚天動地のラストシーンでは、窓や壁を突き破ったり、電線で感電したり、噴水に飛び込んだりと、それはそれは忙しいことをやっている。黒人男性がリンカーンの膝の上に落ちていくのが一番ヤバかったな。
序盤は完全に脇役ではあるが、哀愁を漂わせるカルペッパー警部の面白シーンも見逃せない。若い婦警さんのお尻を目で追ったかと思えば、妻と娘との電話口でのやり取りで家庭問題が浮上してきたりと、けして肉体派ではないが、なさけない笑いを提供してくれる。常識枠かと思いきや、積極的にコメディに片足を突っ込んでいくラストにかけては、老骨に鞭打って頑張っている。
当時の観客にとってはテレビショーのコメディアン総出演大作としての意味合いが強いようで、ジェリー・ルイスはじめ三バカ大将やバスター・キートンなど往年の大物たちも出張ってきており、クレジットされている端役出演どころかノンクレジットのスターたちが数え切れないほど出ているらしい。まあ、そこんところはどうでもいいか。どうせ網羅できないし。
それにしても、60年代ハリウッドの無自覚に女性蔑視的な作風には困ってしまう。ババアはただひたぶるにうるせえし、歯医者の奥さんは太股を見せるくらいしか価値がない。バカどもの暴走に釘を刺す理性的な女性がひとりだけいるが、このキャラクターも男たちの美女に叱られイズムを満たすためだけに存在するのであり、総じて女性の登場人物には意味がなく記号的な役割しか与えられない。
下着で踊ってた人が一番美人だった気がするのは、エロくてしゃべらないから。ホントに女と話すのは嫌だ。うるさいから。でも側にはいてほしい。寂しいから。それはとても身勝手で失礼なことだけれど、実は僕にとってこれ以上ない本音だったりする。格好いいと思われたいし、適度に叱られたいし、可能ならもっと甘えたい。でも、お話してるうちに殺したくなってくる。
現代の目でみるからこそ浮き上がるミソジニーは、自分が隠してる本性の裏返し。ウーマンリヴとかうざってえと遠慮なく言えてしまう時代に作られた野蛮なものに、むしろ心の芯から強く共感してしまう。自分のこういうところが嫌いだ。