怪作中の快作。
圧倒の美術。1980年代科学物質人類文明の極致ともいえる素晴らしい出来栄え。
インターネット(電脳仮想)社会到来前の科学文明が到達しうる未来を見せつけられ、ただただ圧倒された。
そして今我々が生きているGAFAの世界がいかにシンプルに美しいものを作るかで動いていることを思い知った。
iPhoneを思い起こすと、余計なボタンやイヤホンジャックは廃され、あらゆるやりとりが実態のない仮想空間に絡めとられている。
エンジニアの人に話を聞いても、いかに楽に最短距離でシンプルにコードを書くかという発想で世界を作っている。
GAFA世界が引き算の発想で作られているとすれば、ブラジルは足し算の世界。
圧倒的足し算。
不便を物量で解決する。
寝ているだけで、機械や歯車が周り稼働し、トーストが出来上がる仕組みや、今でいうオール電化の家の真裏にはおびただしい数の配管が張り巡らされている。
今では、電子上でやりとりされる、メールなども、管を通って、書簡として届けられる。
こんな未来、今を生きていたら到底思いつかない。
美術だけでもこれだけのものがありながら、謎めいた夢の世界がクロスオーバーし老いることをコントロールできない人類が皮肉として描かれる。
いくら人類が使う道具が進化しようと、使う人類は太古の昔から変わらない。
4千年前にシュメール人が「今日も仕事が嫌だ」と粘土板に残しているように何千年経とうが、人類の根本は変わらない。
官僚はいつだって書類に支配されている。
その大きな流れの中にあって、自分たちは傍観者であることしかできないのかもしれない。
だけど、それでも足掻いで何かを掴むやつがいる。
そんなことを繰り返している間に、人類はどこに行き、どこで終わりを迎えるのだろうか?