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突貫小僧のNSのネタバレレビュー・内容・結末

突貫小僧(1929年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

短縮版でもより作品として体裁の整えられた14分版を見てからの方が20分版の方も見易くはなる。
サイレント喜劇では警官の追走や監視を受けるのが主人公側と決まっている。それは端的にその設定が映像的な運動を喚起し易いからだろうし、だからこそ主人公はよくある設定として犯罪者だったり浮浪者だったりする。
しかしこの映画の主人公は、更にその犯罪者から攫われる側、つまり本当ならば被害者側となる子供だ。この映画ではその子供(突貫小僧)が、人攫いの子分(斎藤達雄)の前ではいかにもなウソ泣き、その親分(坂本武)の前では逆に徹頭徹尾なストーンフェイスで相手を(我知らず?)翻弄する。そのサマこそはこの映画の喜劇要素のキモなのではあるが、主人公が本来的には被害者側である筈の子供であるというところから見れば、そのユーモアやギャグのセンスは、そのままいかにも喜劇的な、つまりは人物自身に自覚すらされざるところの、弱者側による反抗と抵抗の形式とも見て取れる様で、そのセオリーの貫徹ぶりが些か感動的でもある。
人攫いの親分の前では徹頭徹尾なストーンフェイスで相手を突き放しにかかる子供が、その子分の前ではウソ泣きという子供らしい擬態で終始つきまとうのは、子分と子供の接触が子分の変顔という子供じみた擬態から始まったからからも知れず、二人はその分だけ、言わば同じ側に立つ存在だからこその束の間の同調だったのかも知れず、主題的な貫徹ぶりはここにも見て取れる。
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