Tsuneno

アンダルシア 女神の報復のTsunenoのネタバレレビュー・内容・結末

アンダルシア 女神の報復(2011年製作の映画)
1.5

このレビューはネタバレを含みます

この年の春、木曜日の午後10時はテレビに釘付けになっていた。そう、外交官黒田耕作を見るためだ。いつまでたっても犯行の全貌どころか事件の全貌すらもわからない苛立ちは、我が家に重度の依存をもたらした。そして、ラストを迎え、エンドロールが終わった直後に流れた劇場版の予告。夫婦揃って「やられた!!」と叫んだのは言うまでもない。そして、思えばこの時点で、この作品の罠にかかっていたのね。

さて前作アマルフィは、テレビシリーズと比較してあまりにも凡作だった。もうすでにストーリーやクライマックスは記憶から流れ落ち、凡作であった印象だけが残っている。この反省を活かしてのテレビシリーズが思いの外良作だったため、第二弾は気合十分だろうと信じて疑わなかった我々夫婦は、わざわざ公開初日に劇場に足を運んだ。

物語は黒木メイサが死体を横目に隠蔽工作を働くシーンから始まる。これは典型的なサスペンス映画の手法。最初に犯人を教えます、これから存分に怖がってくださいね。女神が誰に対して何を報復したのか、これから存分に味わってくださいね、といった感じだ。
織田裕二も早期の段階から黒木メイサを疑っている。伊藤英明に至っては、そもそもの最初から彼女がクロだと知っている。この状況で、どうストーリーが展開するのか。真犯人は誰なのか。気が付けば、サスペンス調に始まった映画は、推理モノの体をなしてきた。僕自身、途中からサスペンスの頭を切り替え、真犯人探しに躍起になった。

結論。彼女がクロ。

外務省邦人テロ対策室長とインターポール出向中の警視庁キャリアは、120分もの間、彼女と常に行動をともにしていたにもかかわらず、その尻尾を掴めずに迷走するというお粗末な結論だったわけだ。それもそのはず、スクリーンの中では映画を盛り上げるための嘘やご都合主義がふんだんに散りばめられ、彼らを迷走させたからだ。
当然観客も騙される。でもそれは、結末を知ってから振り返ると、論理矛盾を起こしているものが多い。例えば今回の黒木メイサについては、逮捕しようと思えばいつでも逮捕できた。たとえマネロンにかかわった谷原章介が警視総監の息子だったとしても、最終的に黒木メイサを逮捕する結末だったのなら、もっと前に逮捕できた筈だ。少なくとも、証拠を見つけるために、わざわざ織田裕二が撃たれる理由はなかった。マネロンの摘発後には携わった顧客のリストが洗いざらい調べられるだろうし、そうなれば同時期に殺害された邦人との取引ログはすべて調査される筈だ。たとえ被害者のパソコンがどこに隠されていても、サーバーを調べればメールのやりとりはすぐに白日の元にさらされる筈で、そうなればパソコンの存在などは事件解決に大きな意味を持たなくなるだろう。

この頃の予告編をテレビでバンバン流している映画って、予告編で観客をミスリードするためのシーンってのが鼻につくような気がする。今回の織田裕二が撃たれるシーンも、黒木メイサとのキスシーンもそう。予告編で見たシーンが出てきた瞬間にがっかりするって、興行としては成功したとしても、わざわざ観た人には悪い印象しか残さない。

観劇後、まわりにいたおばちゃん達の感想が聞こえて来たけど、彼女らは「私は途中から真犯人に気づいていた」とか「男がみんなかっこよかった」とか「福山がえっちだった」とか、概ね満足そうだった。でも、ふんだんにお金をかけて、その結果が火曜サスペンス劇場のレベルじゃ、僕は満足できない。

これからもこんなことが続くなら、早晩僕の足は映画館から遠のいてしまうよ。おばちゃんと中年男性、どちらが先に死ぬか、もう少し考えてほしいものだ。

あでも、たくさんお金を落としてくれるのはおばちゃんか。やれやれだな。
Tsuneno

Tsuneno