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ミツバチのささやきのCinemanのレビュー・感想・評価

ミツバチのささやき(1973年製作の映画)
2.8
映画というものの面白さにハマり始めた高校生の頃、学校の図書館に置いてあった朝日ジャーナルかなんかに載ってた作品の一つ。
うん十年ぶりに観ることが叶った。

内戦や戦争を子供の視点でどう描くか。アメリカ、欧州、台湾やイラン日本...さまざまな国で優れた作品が作られてきたと思う。
クーリンチェ、トントン、友達のうちはどこ、金魚と運動靴、泥の川...
それは戦争がその時代を生きる人たちの人生に否応なく影を落としていく不条理について語ることだと思う。
その不条理に子供という視点が果たすもの。

この作品は死の匂いに満ちている。毒キノコ、唇に血、黒猫、線路の音、そしてフランケンシュタインと精霊。
子供が生命が長く、だからこそ死に無邪気で。生と死の境界を簡単に彷徨く。
みんなそんな幼時の感覚が多少が残ってるのではないだろうか。いわゆる危険なことに惹かれて、危険の縁を競う高揚感。
この作品では、そう言った一般的感覚と同時に、戦下の村を覆う死の匂いや予感が色濃く重ねられているわけでは。

フランケンシュタインに共通する精霊という存在を、アナの母は「いい子にはいいもので悪い子には悪いもの」というのが巧みだと思った。
フランケンシュタインは負傷兵に重ねられてもいた。敵兵は戦時に常に、恐ろしい人間性のかけらもない自分たちとまったく通い合わない存在として異化される傾向にある(だからこそ、人間じゃない→殺しても構わない、という論理を生む)。
異形のフランケンと異化された敵兵。でも、そういう存在と通い合えるアナ。
戦時下の「敵」の非人間化に対する皮肉を感じる。

子供が主人公になる作品の常で、この作品の場合も子供の世界と大人の世界の輪郭の違いが意識されている。
でも面白いのは、この作品の場、大人の世界との交差も意識されていること。言い換えれば、大人の世界を排除していない。
例えば、タイトルにもあるミツバチの巣は、アナではなく父の視点から見た戦時下の閉塞の象徴だった。ミツバチの巣の中で暮らすアナ一家もまた..。
はじめに出てくる母の「人生を本当に感じる力を失った」という戦争観も極めて大人的視点だけどはっきり言葉にされている。
でも結構印象に残る言葉でもある。
冒頭のフランケンシュタイン上映のシーンでも、可愛らしい子供たちのリアクションだけでなく、一瞬、映画を観るお爺さんお婆さんの真剣な..暗い顔が映るのが印象に残った。
大人の世界の眼差しも子供の世界の中に影を落とす。
これは子供として追体験する物語ではなく、やっぱり大人の視点からアナを取り巻く世界を見る映画でもある。
子供視点にも大人の視点にも振り切らないこの感覚は、監督の当時の若さゆえなのかもしれない。
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