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ミツバチのささやきの海のレビュー・感想・評価

ミツバチのささやき(1973年製作の映画)
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わたしが9歳から10歳を過ごした小学校では、うさぎを飼っていた。三匹のうさぎが居て、そのうちの一匹、仙太郎という年老いたうさぎが、飼育係の中でもわたしに不思議なくらい懐いていた。クローバーを摘んでいくとかならずわたしの手から食べてくれて、一緒に過ごす友達が居ない日の昼休みはずっと頭を撫でさせてくれた。友達や先生に話をするよりも沢山のことを話して聞かせた。ある日の放課後、飼育小屋の中で仙太郎に話をしていると、先生が覗きに来た。わたしたちに差していた西日が遮られた。先生が網に指を引っ掛けて、わたしに言った。仙太郎はもう直ぐ死んでしまうでしょうから、好きなら、一緒に居てあげなさい。高校生の頃に夢で見るまで忘れていたことばだった。大人になってからは秋が来るたびに思い出す。好きなら一緒に居てあげなさい。もう直ぐ死んでしまうでしょうから。わたしが10歳の年の秋、仙太郎は死んだ。びわの木の下に埋めた、と伝えられたとき、不思議と涙は出なかった。わたしは仙太郎が死んでしまうことを知っていた。そこだけ茶色くなった地面の上に、仙太郎の好きだったクローバーを供えた。わたしが転校するほんの数日前の出来事だった。 午後の音の無い陽光のもと、夜のあでやかな月光のもと、朝が来た途端消えてしまう夢のもとで、生きものは死ぬ。大人は死をよく知っている、でも知らない子どもの方が死というものを本当に知っている、信仰している、映画を見つめる子どもたちの目を見ているだけで、わたしはどうしても泣いてしまうのだった。わたしはここで、わたしだけが感じられるわたしだけのなにかを書いているつもりだけれど、ときおり不安になります。映画を完全に理解したつもりになってはいないだろうか、わたしにとってそれは、理解できないことよりも悪いことです。少女の見つめるそのずっと奥へ視線を投げる。本作には決して入り込めない世界がある。彼女にしか見えていない景色がある。だからうれしくなる。ほっとする。眠りを思い出す。死にも似た。泣いてしまう。映画がきた、と思う。
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