菩薩

すべて売り物の菩薩のレビュー・感想・評価

すべて売り物(1968年製作の映画)
4.2
特異な三層構造を持つ作風はワイダ自身の作品で言えば『菖蒲』に似ているが、「主役」の不在で言えば『桐島、部活やめるってよ』に似ているし、映画製作の困難を描いているわけで当然『8 1/2』に通ずる、と言う安易な表現をお許し頂きたい…。ワイダが『灰とダイヤモンド』で生み出した「俳優:ズビグニェフ・ツィブルスキ」なる存在は、その悲劇的な死をもって伝説へと達し、この作品をもって神話へと回帰した。これはワイダのツィブルスキへの哀悼の作品でありながら惜別の作品であり、また自国の歴史、自らの悲劇的な体験を「すべて売り物」にし、それでもレディ・プレイヤー1風に言えば「俺は映画で行く(逝く)!」と「生涯一映画監督」としてあり続ける事への決意表明であり、ワイダの新しいシーズンの出発点の作品でもあるのだと思う。俳優に代わりはいても監督に代わりはいない、なんて言い方は酷だと思うが、ワイダにとって映画を撮り続ける事がワイダ自身の存在証明であり、そしてワイダ自身もその死をもって伝説的な存在へと進化を遂げた。俳優はその生活「すべてが売り物」、監督はその人生「すべてが売り物」、我ら観客が受け取っているものは彼らが切り売りしている生命そのものであると言うことを有り難く噛み締めねばならない、踊り続け回り続けるカメラ、疾走する生のエネルギー、90歳まで「在り続けた」ワイダの底知れぬ生命力の源は、こんな作品の中に溢れている。
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