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善き人のためのソナタのefnのレビュー・感想・評価

善き人のためのソナタ(2006年製作の映画)
4.1
 盗聴映画なのでコッポラと同じくヘッドホンをかけたおじさんをどう撮るか、という問題に向き合わないといけないんだけど、そこを全体主義の物量で乗り切ってるのが面白かった。盗聴するにも団体が直接乗り込んでコンセントを引き抜いて壁紙に配線してしてしまう。ジーンハックマンがこそこそ潜入する必要なんかない。
 そして、作業を担うシュタージの仕草の綺麗な事。身振り手振りは最低限、上官はあらかじめ間取りを把握してるのか、ここにこれを配置しろ、という言葉を発するだけ。テキパキと動く姿は能を観ているような気分にさせられる。手袋をはめる仕草すら美しい。
 また、そういったプロ意識を巧みに利用した脚本と編集、なによりウルリッヒ・ミューエの演技が素晴らしい。東独に忠誠を誓い感情を殺した男、盗聴のプロフェッショナル、非道徳を地で行く人間が監視対象が党員に枕営業をかけ、ピアノを弾き、作劇する度に表情を緩め、最期には涙を流す。全体主義の重々しい社会状況が次々に提示される中で、半逆光の鉄面皮から流れる涙の威力はすごい。(編集もクロスカットでつなぐしかないのによくこれだけの間をもたせたものだと感心してしまった)
 あと個人的には結末でドライマンが直接”目撃する”が”会わない”という選択肢を選び、ペンを執ったことが興味深かった。監視社会では隣人を信用できないのは当然のことで、ましてシュタージの人間などとんでもない。ヴィースラーだって自分の友人を調べて監獄送りにしている可能性が十分にある。しかし、自分を救った人間である以上はどうにかしてつながりたい。個人的に会わずに感謝を伝える方法が劇作家として書く、ということは東独の社会状況を反映した適切な方法だったろう。もちろん、主題にも則している。
 公開当時に観た時は人文かぶれの転向ものと思ったからあまり印象はなかったのだが、今回はそれを覆すことになった。イデオロギーで評価するにはあまりにも惜しい映画だ。
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