まりぃくりすてぃ

殉愛のまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

殉愛(1956年製作の映画)
3.9
素直ォ~な作品。たとえていえば、球速せいぜい130㌔のストレートしか投げれないピッチャーが、カーブさえ未習得なままひたすら丁寧にストライクばっかり取りに行こうとした、みたいな。
変化球ほんとに全然ない中、八千草薫さん&鶴田浩二さんの美が燦々する結婚当夜のスローダンス場面が、映像上の山。その前に砂浜での空爆よけが初抱擁を兼ねるところもまあまあ巧い。二人とも顔ばかり始終目立って演技的にはどうってことなかったけど(特に八千草さん)。
空中戦が何だかウルトラマン世界(どちらかというとイイ意味で)。

国なんかに心から殉じるのはシンドイけど、恋愛には迷わず殉じちゃう。そういうカップルがいてもいい。まったくいい。
特攻隊なんて90%は単なる犬死にだからね。(それがバカバカしすぎる犬死にだからこそ、戦争はしちゃいけないんだよ。犬死にじゃなく意味のある美死だっていうなら、その理屈の延長で、大義名分さえあれば戦争は何万回でも繰り返していいってことになる。特攻美化にこだわる者は、まずは自分が今すぐ遺書かいて特攻隊員になればいい。そして北朝鮮にでも中国にでもロシアにでも向かいな。アメリカにもね。意見は以上 笑。)

ところで、死に装束としての純白ワンピと幸福“アベック”時代の森でのドット柄ワンピぐらいは許せるけども、日常的に彼女がフリルブラウスとか着てたり、西洋風のお屋敷暮らしがやや強調的に描かれてたり、芋でもスイトンでもなくお米を食べてたり、警戒警報ばっかりで空襲警報が一度も鳴らなかったり、敵性語の「ニュース」「トイレ」なんて言葉が無造作に使われてたりと、時代考証めちゃくちゃ。絶対に「厠」か「お便所」でしょ。それに、脱走兵状態での主役少尉の終盤の自由度も、不可解。────昨2017年の『海辺の生と死』のいい加減さに私は呆れ返ったばかりだが、1956年に早くもこんなに反リアリズムでこられると、しっかりしてよって脱力しちゃう。。