このレビューはネタバレを含みます
【女子は必見だと思う】
過去のジュリアと、現在のジュリーが交差しながら、物語はすすんでいく。
ジュリアが手掛けたフランス料理のレシピ本を、現在のジュリーが実践していくというお話。
個人的には、この映画が大好き。
ジュリーが、どうして、レシピ実践という計画をすることになったのか・・・という過程が、とても、気持ちがわかるのだ。
取り柄もなく、何事も長続きしないというジュリー。
目標もなく、ただ毎日を過ごしている。
何かが足りない。
このままでいいのか・・・?という曖昧な不安。
そんな彼女が、自分の中途半端に誇れる「料理」と「文章力」でもって、
何かを成し遂げようとする。
何かを成し遂げられたら、自分のなにかが変わるかもしれない・・・
自分への期待と、挑戦。
それだけでなはなく、この計画が頓挫してしまった時の、
失望感・挫折感の大きさをも、彼女は抱え、レシピを重ねていく。
一方、ジュリアもまた、料理によって、自分の才覚を発揮していく。
彼女は、その持前のパワーで、フランス料理の本を完成させていくのだ。
ジュリーもジュリアも、料理によって、
自分の道を切り開いていくが、その過程は、全く別なものであるように感じる。
自分の力でレシピ本を作り上げたジュリアと、人のレシピを再現すること・・・他人の土俵で何とか・・のジュリー。
本を作るという信念を持ち続けたジュリアの成功と、ブログという手段で、何となく広がったいったジュリーの成功。
映画では、ジュリアは、ジュリーのブログのことを不快に思っていると明言している。
その場面のフォローもないことから、
何となく、大きな問題が残されたように感じるが。
2人の成功を比べたときに、
ジュリアがジュリーのことを知ったとき、不快に思う理由が何となく理解できるのだ。
もちろん、私の推測に過ぎないが、
試行錯誤し、苦労してやっと出来上がったレシピ本。
それを、ただ再現しただけで、成功してしまったジュリー。
ジュリアからしてみると、「私のレシピで、汗もかかずに成功を手にした」と思っても仕方がないと思うのだ。
けれど、もし、この2人が面会し、話を交わした時、
そんな、わだかまりは、即座に解消されるんじゃないかと、そんな風に思うのだ。
一方が、一方と不快に思っている・・・という構図の多くは、
どちらかに、肩入れしたくなるものだ。
ところが、この作品は、どちらも嫌いにはなれない。
一方が一方を不快に思っている・・というマイナスの要素が、
その映画の後味を悪くすることもあるが、
どちらかというと、「
「2人が会って話していたら、気の合う友人になっただろうにね」と運命の悪戯などと、
微笑ましい後味で終わるのだ。
この不思議な作用は、
この作品の作り方にあると思う。
全編を通じて、ジュリー夫妻が、純粋にジュリアを尊敬しているのを感じる。
そして、この映画製作人さえも、ジュリアに、一目置く描き方をしていると思うのだ。
ジュリアとジュリーは、女性として、同等の扱いではなく、
ジュリアを常に上位とし、ジュリアの下に、ジュリーは存在しているという描き方をしているのだ。
物語のはじまりも、終わりもジュリア。
ジュリアのレシピに、試行錯誤するジュリー。
料理を通じて、道を切り開いてきた2人だけど、やはり、ジュリアあってのジュリーであるというベースが、この映画には、存在するのである。
その溢れ出る尊敬の念が、この映画の素晴らしさであると、そう思う。
2人の関係性も良いが、
それぞれ夫婦の関係性も、とても好感が持てる。
聡明で、一生懸命な妻を、常に愛しい視線で見守り、支えていく。
夫を愛し、愛される。そんな2人の共通点も、羨ましい限りである。
とにかく、愛らしい人物像で、
心がほんわかなることは、間違いない。
勿体ないといえば、料理の美しいシーンが、割と少ないことだろうか。、
ジュリーの夫が、美味しそうに食べるシーンは、必見ではあるが、
もっと、料理を作り出すシーンがあれば、この映画に更なる品格が
プラスされたように思う。
女性は、誰しも感じたことがあるのでは?
なにをやっても中途半端。
目標もなく、何も生み出せない。
極められない、自分の得意分野・・・・。
ジュリーのように、ジュリアのように、
何かに打ち込めば、何かが変われるのかも知れないという期待と、
やり遂げられないという自信の無さと、
結局、変われないという不安。
けれど、踏み出さなければ・・・。
それが、自分で生み出すものであったとしても。
先人の足跡を、辿るものであったとしても。
踏み出した先にあるものは、今よりも、少なくとも輝いているはず。