LalaーMukuーMerry

1000日のアンのLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

1000日のアン(1969年製作の映画)
4.1
イギリス王室の歴史もの。エリザベス1世の親であるヘンリー8世と王妃アン・ブーリンの物語。自分を神と疑わない国王の傲慢ぶり(「国王至上法」なんて法律を作ったとは!)、その王を手玉にとったアン・ブーリンのしたたかさ。けれど男の子を生まなければ結局捨てられる・・・
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英国史上偉大な女王、エリザベス1世の親がこんなにドロドロしていたとは! 学校の歴史教科書の記述程度では、とうてい想像できないことの数々に驚かされる。史実にかなり忠実で、歴史ドラマをギュッと2.5hに詰めた豪華で見事な映画作り、俳優陣もすばらしく、引き込まれました。
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傲慢で醜い王の欲望、その寵臣たちのズル賢い振る舞い、脅して嘘の証言をさせる裁判、残酷な処刑シーン・・・ ひどいものですねぇ。でもまあ、時代的には信長が出てくる少し前の頃だし、親殺し、子殺し、主君殺し、日本も同じようなものだったともいえる。我が子を権力の座につけたいと強く願う母親の気持ちは、大奥の側室と同じでしょう。
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同じ史実を扱った「ブーリン家の姉妹」(2008)がありますが、こちらはアン・ブーリンとメアリー・ブーリン姉妹の関係性、二人の人間性を現代的な視点から対比的に描くことに重点が置かれているので、わたし的には「ブーリン家の姉妹」の方が好きかも。
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英語のSisterは姉か妹か区別がないから、アンとメアリーのどっちが姉かは定かでない。本作品ではメアリー=姉、アン=妹となってますが、「ブーリン家の姉妹」では逆になってました。アンが侍女として王室にはいるまでの経緯もだいぶ違いました。
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「わが命つきるとも」(1966)という映画もあって、アン・ブーリンとヘンリー8世の結婚に最後まで反対して処刑されたトマス・モア(「ユートピア」の作者として知られる)を描いた作品らしいです。いつか見てみようかな。

*** (史実、自分なりのまとめ) *** 

●国王ヘンリー8世(在位1509-47)には、男の世継ぎがいなかった。
 王妃のキャサリン・オブ・アラゴンはスペイン王室の王女で、もともと彼の兄アーサー皇太子が幼い時に(14歳)政略結婚で結ばれた相手。アーサーが翌年亡くなったため、彼女はその弟と再婚することになり、弟が王になると同時に王妃となった。しかし死産が続き、二人の間には女の子が一人育っただけだった(メアリー王女)
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●男の世継ぎが欲しいヘンリー8世は、ローマ教皇の反対を押し切って、王妃キャサリン・オブ・アラゴンと離婚し(当時は離婚が認められてなかったので、婚姻そのものが無効という手段をとった)、アン・ブーリンと再婚した。(ローマ教会から離脱、イギリス国教会のはじまり)
 ヘンリー8世は始めアン・ブーリンを愛人(王妃の侍女)として男子を産ませようとしたが、彼女はこれを拒み、子が王位継承順位の上位となる王妃の座を要求した。アンが正室にこだわったのは、彼女の姉妹であるメアリー・ブーリンを見ていたことが要因の一つとされている。メアリーは王の寵愛を受け愛人として子を産んだが、当時は庶子とその母親は嫡出子と王妃に比べて雲泥の違いの不遇な扱いを受けていた。

●しかしアン・ブーリンにも女の子しか生まれなかった。
 次の男の子は死産だった。権力に固執するアンとヘンリー8世の仲は急速に悪化した。王は次の王妃候補を見つけ、アンとの婚姻を無効とする理由を寵臣クロムウェルに考えさせる。

●アン・ブーリンを処刑して、王は直ちにジェーン・シーモアと結婚。
 やがてジェーン・シーモアは男の子を生むが、出産10日後に死亡する。王は悲嘆にくれるもののすぐに立ち直り、次の王妃を探させる・・・

新しい結婚をする度に、前の婚姻の無効理由を挙げることを繰り返し、結局ヘンリー8世は、生涯で6度の結婚をした。

王の死後、最初の3人の王妃から生まれた子たちが王位を継承した。
エドワード6世1547-53(ジェーン・シーモアの子)
メアリー1世1553-58(キャサリン・オブ・アラゴンの子)
エリザベス1世1558-1603(アン・ブーリンの子)