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青い春のKのレビュー・感想・評価

青い春(2001年製作の映画)
3.8
28/2/2024 wed キネマ旬報シアター(初) スクリーン3 F7 15:10〜 音感上映
フルスクリーンのシネスコ。中央に通路があり下手ブロック側センター席。DE列くらいがいつもの見え方かも。全席傾斜緩めで前列によっては頭被りありそう。C列7-8だけは列ズレてるので、頭被りなさそうでここもアリ。

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長い余談:
『音感上映』という形式で、通常よりボリューム上げた特別上映。なんだけど……。
空き缶を噛ませて顔を踏み潰して歯が抜けるカットへのシーンで、バツッと音がして明らかにボリュームが20%くらいまで落ちた。目が見えなくなる生徒もいたし耳が遠くなるとかそういう演出なのかと思って感心してたけど、しばらくシーンが進んでも戻らず、気付いた観客がすぐ報告してくれてその後70%くらいまでは戻ったんだけど、トラブル前に比べたら話にならない音声レベルだった。
劇場側から謝罪はあったもののリカバーはなかった。流石に死ねクソと思ってしまった(青木、こんな気持ちだったんやね)(青い春4D?) 散々期待して遠出してんだよこっちは。このために県を跨いで来た人も大勢いるだろうに。おれも万全の環境でミッシェル聴きたかったよ!平日昼間にしてはかなり人入ってたし、皆気合い入った服装で来てたよ、、涙 ファビュラスのトート連れてったし黒のマーチンも履いてった、、
Twitter見たらフィルム上映から今後はデジタル上映に切り替えるらしい。フィルムだからあかんかったのか?機材トラブルだから劇場側にダイレクトに非はないとしても悔しさはリアルよ。

スピーカーがしっかりしてた時の音感としては、爆音映画祭とかの美しく調整されている形式と比べたらかなり高音が耳にツンと来るうるささで、でもまあミニシアターの大音響のMAXだろうなという感じ。でもねえ、綺麗さなんて求めてないからそれなりに満足してるよ。

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/よう知らんミニシアターでいかにもフィルム撮影然とした作品を観るという行為、それ自体が"""エモ"""すぎ 90sすぎるよ(公開は2001年だけど) 校舎のざらついた手触りの壁、埃と弁当の匂いの混じる沈着した教室、たった一人の野球部員が走るグラウンド。その質感!
帰り道、電車から見える住宅街の隙間から覗く橙色すぎる夕陽すらもエモかった。柏、"地元"すぎるよ。。。(平成の地元感強すぎて自分はあんまり好きな感じじゃなかったけど……愛されてる街なのかもしれん……)

正味作品自体はそんなに刺さんなかったけど(名作と呼ばれる所以は?)(和製トレインスポッティングというレビューを読んで、ああそういう見方をすればいいのか!とやっと少し理解した)、わざわざ限定上映のスクリーンまで足を運んだ経験含めての星3.8。いい経験だった。


/タランティーノ映画に近いアンサンブル感だったなあ。全然見方がわかんなかったけど、いや理解はできるんだけど楽しみ方が今ひとつ今はわからないってだけなんだけど、観終わった帰り道すっかり「その気分」になっている。ドロップの気持ち!さらっとしてるけど、えらいカロリーのある映画だった。


/ドロップが流れるタイミングが素晴らしい、という話は、ミッシェルに出会った時から散々聞きかじっていたのだけど、今回初めて鑑賞して完全に喰らってしまった。美しいまま、死のう、誰にも超えられない超然とした態度のあいつを超えるために、超えられないから、死んでやる。ふらふらと夜になり、朝を迎え、永遠の未来をこの手に。

あんましエンドロールで確認できなかったんだけど劇中インスト曲も作曲してた?(→セプテンバー・パンク・チルドレンとビート・スペクター2作だった!もしかして元からこの作品の提供曲だったんだな) 音感だけで一瞬でわかるなあ。親の声より聞いた声と音。このミームあんまオモロくないから使いたくないんだけど、事実かなりそうだからとりあえずこう言っとく。

直前に使ってんのにエンドロールでもう一回ドロップ聴かせんのどうなの??って一瞬思ったけど、ライブ版だったので、"聴きたい欲"が完全に満たされてしまった。ありがとうございます。

ロデタンとカサノバっぽい雰囲気の映画だよな?って思ってたけど普通にブギーも入ってた。てかそもそもこんなに曲が使われてると思ってなかった。ロングレドヘアケーリーの"アザラシ"の"ア"の部分、どう聴いても言ってないのほんと好きすぎ。んだよザラシって。んだよドボザワールって。笑 おもしれー男。


/松田龍平というオムファタル、まじ、小鳥みて〜 実際同じ学校にいたらさ、ひれ伏しちゃうよな……何もしてなくても。
/新井浩文こんな顔立ちだったっけ?!九條への謝罪として、きのうはごめん。という一筆の横に"青木"と名前を添えるところや、スプレイで壁に描かれた九條の名前を消して自分の名前を書くところ、"青"が外はねでカワイ〜
/ウルトラ警備隊になると言うユキオ君、フォークソング部のギターを抱える姿と『モナリザ』のギャップ。モナリザを内面の曲として使うのめちゃくちゃおもしれ〜〜!ダサメガネも妙にボリュームあるアップスタイルも全部似合ってて凄い。何これ。すげえキャラクターだな。
/瑛太(EITAの時の!)も、桜にたかる毛虫をひたすら取って根元に埋める役で出てた、、彼の"前世が桜"は、わかる
/まったんどこで出てた?!最初の集合写真?歯無くす役?


/友情の話だったんだ、学校と青春と暴力性という巨大な怪物の中に棲む。
九條が机にマジックで描き殴っていた怪物の影のようなものの回収、めちゃくちゃ気持ちよかった。(無意識の惹かれという太陽に近付きすぎると焦がされて死ぬよなそりゃ)
友情ってまじでどうでもいいバランスで保たれていて、カーストとか、あの態度がひとつ気に食わなかったからとか、そういったことでやすやすと崩れたり疎遠になったりするよな。大人になっていく過程で、捨てるべきものと残すべきものがはっきりしてくるとなおさら。なりたいものになれない、って人生における苦しみの中でトップクラスにつらいものかもしれない。でもなりたいもんも夢見てるもんもないもんな。わかるよ。そんな状態のときに、世界を全て見通すような人間が上から見てたらさ、俺らは破滅するしかないさ。でも、"何者かになりたい奴"は死ぬ。"なりたいものがない"という確立した自己がある奴は、屋上から世界を眺め続ける。

最近特にだけど、自分の中の暴力性が許せなくて、一日の終わりにめちゃくちゃな気持ちになることが多い。こうやって今作みたいに、衝動性に任せて社会性をパアにする生き方の方が絶対人間としては正しいんだよ。でもできない。『哀れなるものたち』の言葉を借りたなら"良識ある社会の掟"がそこで見てるから。気持ちよく生きたいなあ。どうしたらいいんだろう。さっさと早死にしたいわ。皆よく耐えてるよ、この衝動性に耐えてよく生きてる。

"やりたいことがわかってるやつはすごいよ"という九條がポソっとこぼした台詞、その通り過ぎるだろ。


/ミッシェルめちゃくちゃ好きやなこの監督笑 『I'M FLASH!』もこの人だったんだ。観なきゃならない人生のタスクの一つや……。
そうだよ、結局チバユウスケの影響で限りなく透明に近いブルーも観たし。大学のレーザーディスクで。懐。


/美術がかなり良かったな。極限まで汚くて。花壇のネームプレートをタバコでやってるのがめちゃくちゃよかった。

/"蒙古斑がある年齢"からの友人である二人のシガーキスは、猫の喧嘩と愛情の確かめ合いみたいで面白かった。どれだけイキがって殴り合ったとしても、根底にあるのは確固たるお互いの超えらんない存在のみ。

/ホモソーシャルを肯定的にやってないのが良かった。この作品の軸である九條はホモソーシャルのピラミッドの上に立つことは決して望んでいないように見えるし、ただひとりで高いところに留まることを許されるらしい"強さ"という名のついた免罪符だけが欲しいような気がする。

/もう一つの劇中曲提供バンドであるブロンディプラスティックワゴンのこと、全然知らなかったんだけど、かなりブランキーでウケちゃった。でも中期後半からのミッシェルもブランキーみたいなもんだから、これ実質ブランキーの映画みたいなもん(?)

/てか原作あったんだこの作品!しかも松本大洋。後日労働先の上司に話したらああ松本大洋の?って言われた。知ってるんすか?!つったら、映画化された作品はそれなりに有名だよ〜ってさ。そんな感じだったの?

/先生は否定してたけど、咲かない花もあると思うよ。咲かないまま枯れる。

/一人フェンスにぶら下がる青木の、青すぎる頭上にデッカいジェット機が飛ぶカット、かなりインプレッシブだった。自分が映画監督だとしてこのカットが作れたら満足しちゃうかもな。



/https://kuuhakuizonsyou.seesaa.net/article/201102article_17.html

>「後輩を番長らしくシメようぜ!」っていう青木と、そんなことに興味ない九條はだんだんすれ違うんだけど、決定的に決裂したのが、青木が後輩をシメてる時。
「死ぬかコラァ!」「殺すぞ!」と、「死」に関する言葉をずっと叫びながら後輩を暴行する青木。
「死」という静かで深い闇に惹かれていたであろう九條は、そこで「こいつ分かってないな」と思ったんじゃなかろうか。
それに嫌気がさした九條、そしてその態度に「いつも上から目線で何様だよ」と怒りを抱く青木。
そのあと青木は、謝ろうとするんだよね。
でも、九條は急に一番前の席で普通に勉強しだす真面目ちゃんと化す(なんでかはよくわからんけど、学校をシメるのに完全に興味失せたから、まあやることもないし真面目に進学しとくか、俺学校好きだし。くらいに思ったのかも)。
完璧に決裂し、青木はモヒカン化し実力行使で実質の番長となる。
この辺は実に痛々しい。

>九條を超えるため、青木は死という暗闇へ一直線に走っていく。
2人とも学校が好きなようだが、九條がいつも屋上で眺めていた景色を、青木は日が暮れ、朝になるまで見続ける。彼を理解したのだろうなあ。まあ見てるこっちにはよくわからんのだけど、九條の死生観とか学校観みたいなものを感覚的に感じたのだろう。真っ黒に染まった青木は超えるために、一人でベランダゲームを始める。恐怖の無い九條でも成し得ていない、本物の「死」、スーサイドへ向かうためだ。

>青春とは痛みをともなうもの。失恋だったり、友との別れだったり、敗北であったり、まあいろいろあるわけですが。そして生と死につて深く考え込む時期であったり、自意識こんがらがって混乱した結果、それが暴力性や衝動性に直結してしまうような、そんな時期だったりします。
『青い春』は、そのような青春の要素をこれでもかというくらいデフォルメした作品なのだと僕は考えます。

↑なるほどねえ〜〜〜
ほの暗い死かあ〜〜
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