ーcoyolyー

八月の狂詩曲(ラプソディー)のーcoyolyーのレビュー・感想・評価

4.3
黒澤明晩年の映画、あまり評価良くないのなんでだろうなと思ってたんだけどなんとなく意味が分かった。黒澤映画のチャンバラ的なものやドンパチ的なものだけを楽しんできた人には理解できないんだ。そしてそれが実は黒澤映画ファン層のかなりの割合を占めていた。そこに気付いたら黒澤明が気の毒になった。

黒澤明って散文的な表現と詩的な表現を極めて高いレベルで両立していた映画監督だったと思うんですけど、『乱』を観た時に不安になって。その両方をまとめ上げるのって恐らく非常に体力を使うんだ。老境に差し掛かった人間には耐えられないような消耗の仕方なんだと思う。

『乱』で本人がリア王のようになってしまった黒澤明はでもそこでリア王のようには終わらなかった。この人まだ映画撮りたかったんだ。それで散文的な表現は切り捨てて詩的な表現のみに集中するようにしたのが晩年の白日夢のような世界観の映画なんだと思う。その結果、散文的な表現しか理解できなかった客の不満が爆発してそういう人の声が大きかったためにああいう不当な評価になったのだと思う。

オーケストラを巧みにまとめ上げていた人の晩年の滋味深い室内楽を理解できないような声はこの映画を評価できるような人たちの声を掻き消してたんだな。

これだけ詩的な表現ができる人が同時にあれだけ親切に散文的に説明できていたのが信じられない。黒澤明の最大の才能ってこの両立というか融合だろう。芸術としてもエンタメとしても極めて高い水準に持ち込める人って他にいないんじゃないのかな。どちらか一つに絞り込んでこの水準の人はそれなりにいるけど両立は本当に難しい。スコセッシが心酔してるのはそういうところなんだろう。

リチャード・ギアの異物感や浮遊感が夢のようでいいよね。確実に異化を狙った存在が過不足なくそれを担って表現できている。

それと同時に私は私の日系アメリカ人の従妹が新潟の叔母や従兄妹の家族のところに遊びに行った時に従兄妹の子供たちが英語の歌を歌って歓迎してくれたという話を新潟の次に遊びに来た東京で、渋谷のスクランブル交差点から明治神宮まで歩いて案内してる時に聞かされたことを思い出して、その時の従妹の顔も一緒に浮かんできて泣きそうになりました。

ただ吉岡秀隆、お前はクソだ。従妹を軽い気持ちで襲おうとして拒まれてそれを軽い気持ちでそのまま忘れてそうなお前はクソだ。お前が軽い気持ちでそのまま忘れてしまいそうなことでもこちらは一生の深い傷としてその瞬間からずっと重荷を背負わされてしまう。この非対称性に強者側はせめて気付いて欲しい。このシーン、黒澤明がどのような狙いで作ったのか意図を図りかねていてそこだけは引っ掛かってます。
ーcoyolyー

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