Sanald

八月の狂詩曲(ラプソディー)のSanaldのレビュー・感想・評価

3.7
華があるか、と言われればもちろんないし、役者の演技はお世辞にも素晴らしいとは言えないのかもしれない。でも、現代に通じるエッセンスが多々散りばめられていると思った。

音の狂ったオルガンが徐々に整って行くのに合わせて、おばあちゃんのなかで遠くなっていた「ピカ」の記憶が鮮明に思い出される。
思い出したくない、封印したかった記憶かもしれない。離ればなれになった家族が皆死んでしまった、その事実を突きつけられて遂に、パンドラの箱が開かれたかのように発狂するおばあちゃん。
そこに重なる、美しいはずの「野ばら」の合唱が何とも気味悪い。

野ばらで歌われる紅の薔薇=赤い薔薇は、キリスト教で「マグダラのマリア」を指す。
罪深き女と言われ、欲に塗れた日々を過ごしている時にイエスと出会い改心する。彼女の纏っている服が赤いことから、赤い薔薇はマグダラのマリアを象徴するものと考えられ、「罪を洗い流した愛」を象徴しているという。

アメリカからやってきたクラークと、おばあちゃんは手を取り合い、和解したかのように見える。
8/9の供養では、皆熱心に祈りを捧げる中、クラークだけ笑みを浮かべているのが何とも奇妙だ。もちろん、現地の人は恐れ慄く。
そして、「罪を洗い流した愛」を象徴する赤い薔薇を信次郎が見つけて、クラークと笑顔で見つめ合う。
お互い許し合って、はいおしまい
……とはならない。

あの薔薇に群がる蟻は、過去を忘れ同じことを繰り返してしまう私たちの、未来に暗雲が立ち込めていることを表現しているのではないか。
そう易々と、傷は癒えないし記憶は消えない、消し去ってはならない。

世界中で戦争が繰り返されている今、
オッペンハイマーが公開されている今、
私たちは自分自身に問いかけなければならない。
1945年の8月6日と9日、日本で何が起こったのか理解し、唯一の被爆国として世界に問題提起できているか?
Sanald

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