komo

歩いても 歩いてものkomoのレビュー・感想・評価

歩いても 歩いても(2007年製作の映画)
4.5
15年前に亡くなった兄・純平の命日。良多(阿部寛)は妻・ゆかり(夏川結衣)と妻の連れ子を伴い、実家に帰省する。良多は家業を継がなかったことにより、父(原田芳雄)と確執を抱えていた。そして母(樹木希林)は長男を失ったことを今でも深く嘆いている。良多の姉・ちなみ(YOU)が場を取り持とうとするものの、一家には拭い切れない重苦しい空気が漂っていた。


【前へ歩くことしかできなかった】

夏の陽射しに照らされた家族の物語。静かなように見えて、凄まじい映画でした。家族という繋がりの良いところも悪いところも凝縮されています。観ている側もこれまでの人生で味わった居心地の悪さを思い出し、雁字搦めにされるかのよう。

物語は、母とちなみが共に料理を作りながら良多の帰省を待つシーンから始まります。
日本の台所の空気感満載でSEも心地よく、これから温かい一家団欒の物語が始まるのかと思いきや、そうではなかった。
母は良多を優しく迎え入れるものの、子連れの未亡人と結婚したことに関して、どこか否定的な思いがあることを隠そうとしません。
そして15年前に亡くなった純平との思い出を、まるで最近のことのように語り始めることがしばしば。そして良多の思い出を純平のものだと混同していたりもします。

父は開業医で、純平が病院を継ぐ予定でしたが、それは叶わず廃業。
父は純平さえいれば病院を潰さず済んだという悔恨があり、そして引退後も自分は医者であるという矜持を強く持っています。良多はそんな父のプライドの高さと相容れず、また、跡継ぎになるはずであった兄へのコンプレックスに未だ苛まれます。

そんな軸を持って進む家族の会話。
この映画を観て共鳴できるのは、『自分の家族と”家族という関係であること”』への居心地の悪さです。
たとえ上手くいっている家庭の中でも、家族に対して生まれてから一度も「なんでそういうこと言うの?」と思ったことがない、という人はきっといないと思います。
親はなぜ自分をこう評するのか、なぜ私が好きになった人や物に対してそんな言葉をかけるのか。そんな思いを抱いたことがある人なら、本作は少なからず心に残るはず。

本作が観客に鋭利な印象を与える要素は他にもあって、そのひとつが”時の無情さ”の描き方です。
長年に渡り町の人々を診てきた父は今や年老いて、急患から電話がかかってきても医者としては衰えているためどうにもできず、救急車を呼ぶことを勧めるしかありませんでした。
それに対して母は、15年も前の息子の死を最近のことのように悲観し続けています。
時が経つことで失うもの、時が経っても癒えない傷。時の流れは人間を助けてくれないばかりか、人生の残酷さを象徴するかのようです。

そうした無情さを本編で語ってからのラストシーンでは、良多が時の流れにより手にしたものが描かれています。
家族との縁は何があっても消え去ることはありませんが、それ以上に”自分自身の人生”の重みや可能性について考えさせられるラストシーンでした。
中盤に登場するお墓参りのシーンのセリフを覚えていると、より感動的です。

全体を通して、樹木希林さんの演技はやはり凄かった。
料理上手でもてなし好きで穏やかなおばあちゃんかと思いきや、胸の奥に渦巻く感情が少しずつ台詞の端々に滲んで来る様には、近づいてはいけないものに触れてしまったような、人の大切な心に踏み込んでしまったかのような、身につまされるような気持ちになりました。
komo

komo