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太陽の子 てだのふあのdaiyuukiのレビュー・感想・評価

太陽の子 てだのふあ(1980年製作の映画)
4.7
小学校六年生のふうちゃん(原田晴美)の両親は、沖縄出身で“てだのふあ沖縄亭”という食堂を開いている。
店には片腕のないロクさん(松田豊昌)や鋳物工のギッチョンチョン(石橋正次)やその友達のギンちゃん(中村四郎)、桐道さん、ゴロちゃん(知名定男)といった沖縄出身者が集まり、ふうちゃんは皆の人気者だ。
ふうちゃんの父親(河原崎長一郎)は、時々、ノイローゼで発作を起す。長いこと故郷の波照間に帰ってないからだ。
食堂では、沖縄出身のグレかかった少年、キヨシ(当山全拡)を連れてきたギッチョンチョンとギンちゃんの間で少年が原因で喧嘩が起った。
ある夜、キヨシが沖縄亭にこっそりやってきた。ギッチョンチョンから盗んだ金を返しに来たのだ。
帰ろうとするキヨシを追ったふうちゃんは、足をケガしてしまう。
そして、病院のベッドでふうちゃんは、お父さんが発作を起したのを知った。
でも、キヨシがお店を手伝うことになってふうちゃんは一安心。そんなキヨシも暗い過去を背負っていた。幼いとき母に捨てられ、ギリギリの生活をしていたのだ。
沖縄亭に集まる心優しい人たちみんな、気の遠くなるようなつらい悲しいめに会ってることを、ふうちゃんは気づきはじめた。そして、それは、みんな戦争と沖縄が原因している。
「沖縄のことを勉強しよう!」
ギッチョンチョンを先生に、ふうちゃんの猛勉強が始まった。
ある日曜日、ふうちゃん、お母さん、ゴロちゃん、キヨシで姫路の先の室崎へ行くことになった。お父さんを誘うと、急に不気嫌な顔をする。
お客さんの一人は、お父さんを室崎で見かけたことがあると云う。室崎でゴロちゃんが叫んだ「南部の海岸線に似ている!」
沖縄戦にさい悩まされるお父さんは、ここへ来て何を考えるのだろうか。
戦争の暗い影をいやすのは、故郷の青い海だと考えたお母さんは、波照間にいるお父さんのいとこに手紙を出し、親娘三人で行くことになった。
お店はキヨシがやってくれるのだ。
出発前夜みんなでパーティを開いていると、お父さんがいなくなった。みんなで八方手をつくすが、お父さんはどこにもいない。
ふうちゃんはキヨシと室崎へ行った。海岸を走る二人。神戸に電話をしたキヨシが涙をためてふうちゃんのところに来た。
全てを悟ってふうちゃんの目に涙が溢れでてきた。石垣島から波照間へ向う船に、ふうちゃん、お母さん、そしてお骨になったお父さんが乗っている。
波照間の海は、お父さんが話していたよりもずっと青い。
今までの楽しいこと、悲しいことが胸にこみあげてきて涙が溢れてしようがない。
波照間の、海に向う一本道をふうちゃんはお父さんと叫びながら走り続けた。
灰谷健次郎の同名児童文学を映画化。
母親が開いている沖縄料理屋「てだのふぁ」の常連客や沖縄戦のトラウマに苦しみノイローゼになっている父親が抱えているものを知りたいという想いから、沖縄の人々が未だに苦しむ沖縄戦などの悲惨な歴史や文化をてだのふぁの常連客のギッチョンチョンからふうちゃんが学ぶ展開が、ふうちゃんの目線を通して描かれるので、沖縄戦で日本軍が沖縄を本土決戦を遅らせるための捨て石にされ動員された沖縄の学生や兵士は捕虜になることを許されず手榴弾を渡されて自決を迫られた悲惨な歴史や本土での沖縄の人々に対する差別などが、ふうちゃんの父親が体験した沖縄戦の悲惨な悲劇やキヨシの差別のために舐めた辛酸やキヨシの母親がアメリカ陸軍基地があるゴザで舐めた辛酸や片腕を失くしたろくさんが体験した沖縄戦での辛い過去などがリアルに描かれるので、観客や学校で見た生徒たちがふうちゃんやキヨシの目を通して沖縄の歴史を学べる教育映画的な色彩が強い。
ふうちゃんとキヨシ、ふうちゃんとギッチョンチョンやろくさんなどてだのふぁの常連客との交流が丁寧に描かれていて、学校で歴史の授業で、生徒に見せて欲しいヒューマンドラマ映画。
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