真田ピロシキ

おもひでぽろぽろの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

おもひでぽろぽろ(1991年製作の映画)
3.4
高畑勲マラソン再開。本作は全くの未鑑賞。1966年東京を舞台にした思い出編と大人になった1982年の山形編が交互に展開されるが、実は山形編は原作にはないオリジナル。子供の頃から田舎に憧れを持つ主人公のタエ子は27歳になった今、親戚の縁で休暇を山形での農業体験に費しているのだが、そんな田畑が広がるところではなかったとは言え地方出身者の自分には東京生まれ東京育ちの人間が田舎好きを公言するのには「そりゃあたまに行くなら楽しいでしょうよ」と冷めた思いが拭えなくてあまり引き込まれない。思い出編も60年代ノスタルジーを醸し出されるが、その頃の生まれでもないのに2022年の価値観で見れば昭和のしかも40年代などこの頃は良かったねなんて美化できたものじゃなくところどころオゲーとなる。『じゃりン子チエ』みたいな悪いところもバイタリティで吹き飛ばす喜劇ではないためにむず痒い。

とは言ってもつまらないわけではなくて、アニメーションには目をみはるのが多くて、思い出編で想いを告げられた野球の上手いヒロタくんと心が通じてそれまで地に足をつけたアニメーションが夢見る心地で文字通り宙を歩くシーンの高揚感は楽しい。また表情も普段は誇張を控えめにされているのだが、たまに顔に縦線が入る困惑顔をしたり、劇団のスカウトが来たら目を少女漫画風にキラキラさせたりとギャグ的表現が意外と用いられてるのもあまり高畑作品らしくなくて面白い。

山形編は究極とも言えて、夜行で山形に着いたタエ子が紅花農家まで車で連れて行かれる道中の蒼い景色にうっとり。そして着いた農家で紅花畑が日の出に映える美しさ。その後の作業工程も含めてとてもリアリティが豊かで作品の格を上げている。こっちではキャラクターの表情もともすれば地味と感じるほどにどこにでもいそうな人間を徹底されてて、アニメ的な可愛さを少なからず施されてた思い出編とは趣が異なる。トシオは声を当てている柳葉敏郎に似ているように感じたが意図されたものだろうか。記憶を辿っている思い出編は主観なので時に大きく誇張され、現在進行系の山形編はリアリスティックを追求するという異なるスタイルの混在が理に適っていて、それを前後編構成にするのではなく交互に展開して違和感を生んでいないのが優れたところ。高畑監督は勿論、背景の男鹿和雄の技術に痺れる。

タエ子の田舎好きは所詮観光客の道楽としてのそれでしかなくて、なのにその辺をなかなか突かれないのでもどかしいが、終盤になってようやく向き合わされる。しかもそれが地元の人のネガティブな感情ではなくて、ポジティブな「トシオの嫁に来ない?」というもの。その話が必ずしもありがたくないのはひとまず置いといて、固まってその場を逃げ出したタエ子は田舎を好きだと言いながらその土地に骨を埋めるような覚悟は持ち合わせていなかったことを自覚させられる。その後に思い出した隣のクラスメート アベ君の話。貧乏で汚くてクラスの鼻つまみ者だったアベ君の陰口は自分一人叩かないようにしてたタエ子。だけどそれは自分がいい格好するためにアベ君を利用してたんじゃないか?そのことと理解者面して地方を消費する東京モンの今と重なったんじゃないかと思う。タエ子は自分の本当のところはどうだったのかを見つけ出し、過去の自分の後押しも受けて決心をする。それを嫌味を感じず見られたのは、安易な田舎賛美に落ち着こうとはしなかった点だ。それでも田舎のロマンを売っているきらいがあるのは否定できないのとノスタルジーはやや強めで居心地の悪さは少しあったり。振り返ると田舎に興味がなくてもここまで魅力的に思わされた男鹿背景の凄まじさにやはり驚嘆。