むらむら

アメリカン・グラフィティのむらむらのレビュー・感想・評価

アメリカン・グラフィティ(1973年製作の映画)
5.0
何故か分からないが、急にこの作品を再鑑賞しなければいけない気持ちになって鑑賞。

この映画の舞台は1962年。四人の高校生の男の子たちが体験する、たった一夜の物語。

1962年。まだケネディも生きていて、ベトナム戦争も見通しは明るい。公民権運動は始まっていたものの、キング牧師があの有名な演説を行うのは一年後。

おそらく、アメリカが、「古き良き」とノスタルジーに浸ることの出来るギリギリの年が、この1962年なんだろう。

リーゼントの不良は出てくるけど頭のイカれたドラッグ野郎は出てこない。キャデラック、リトル・デュース・クーペ、ドライブインダイナーにピンボール。黒人については一言触れられるだけで、影も形もない。この後、時代は大きく変わり、この価値観は1960年代後半、そしてこの映画が公開された1973年には、遠い過去のものになっていた筈だ。

だが、この映画のおかげで、まるで1960年代は、ずっとこんな感じのように錯覚している人も多いと思う。そういう意味でも、偉大な映画。

東海岸の大学への進学を渋っていたカート(リチャード・ドレイファス)と、恋人を捨てて進学するつもり満々のスティーヴ(ロン・ハワード)。この二人を軸に、物語は回る。周囲の登場人物も魅力的。オタクだけど背伸びするテリー(チャールズ・マーティン・スミス)と走り屋だけど、なぜか幼女とドライブする羽目になるジョン(ポール・ル・マット)。そうそう、走り屋対決をする相手役のボブこと、ご存知ハリソン・フォードは、当時、すでに30歳(若くない!)。撮影期間4週間のギャラとして、毎週500ドルを提案され「これだとなんとか家族を支えられる」と思って出演を決意したらしい。

一番人気の出そうなイケメン走り屋のポール・ル・マットを尻目に、その他の主要キャストたちがハリウッドで大活躍していったのは、皆さんご存知の通り。だからこそ、この「アメリカン・グラフィティ」は面白い。

誰にも、未来なんて分からない。分かるのは過去だけ。過去を振り返るべきではないのは分かっているけれど、二度と戻らない、キラキラとした思い出が、誰にも平等に存在する。そんな瞬間が、この映画には刻まれていて、だからこそ、当時の観客は、この映画を熱狂的に支持したんじゃないかな。

2020年にこの映画を観る我々の感想も、そんなに変わらない。普遍的で愛おしい過去の姿がここにある。

すべての物語が終わり、四人の主人公たちの「その後」が順々に提示され、一瞬の静寂。

ビーチ・ボーイズの「オール・サマー・ロング」が、高らかに鳴り響く。

俺がこれまで観た映画の中でも、1,2位を争う、素晴らしいエンドロールへのカットイン!

実際は1964年にリリースされたこの曲は、まさにこの映画のために書かれたかのように、終わってしまった夏休みへのほろ苦い感傷を引き起こす。

当時、エンドロールに名前が載ることは一部の中心人物のみの特権だった。だが、資金難に喘ぐジョージ・ルーカスは、スタッフに、エンディングロールに名前を載せるから、と、この映画への協力を説得していったのだという。そんな偶然の中、ここに名前の載った数十人のスタッフは、図らずしも、永遠に名前が刻まれることになったわけだ。「僕らの夏は終わらない(オール・サマー・ロング)」という歌と共に。終わらない名声と共に。

俺は2012年のビーチ・ボーイズ来日(ブライアン・ウィルソンも共演した!)に行って、この曲を聞いたときのことを覚えてる。真夏の幕張スタジアム。せいぜい2分の曲なんだけど、ビーチボーイズのハーモニーが永遠に続くように感じた。

失った青春や、もう会えない友人がいる人は、誰もがこの映画を観て、涙するんじゃないかって思う。少なくとも俺はそう。少なくとも1曲は、ミスタードーナツかどこかで聞いたことのある曲がある筈だし、もしこの映画が好きになったら、そこから過去の素晴らしい(そして、ちょっと古くさい)音楽を聞いていってほしい。

俺的には、この「アメリカン・グラフィティ」は、「スターウォーズ」を超える、青春映画の古典にしてマスターピースです。



P.S.「2」の感想も書いたのでご興味あるかたは読んでみてください!)
むらむら

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