大道幸之丞

残菊物語の大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

残菊物語(1939年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

例えばあなたの恋人が役者志望で、劇団のチケットも売ってあげたり、恋人が売れるためには努力を惜しまない。同棲もしてるしなんなら生活費はあなたが稼いで養っている。——それなのにメジャーデビューが決まるや、捨てられてしまう。まるで『ラ・ラ・ランド』のセバスチャンのような憂き目にあった女性は日本で毎年2000人はいるらしい。——というのはウソだが、本作は概ねそんなような内容だ。

1939年の作品で、つまり戦前の作品で、本作は戦後にフィルムが修復され、音声も復元され、こんにち鑑賞する事が出来る。それほどまでに復元したい名作ということなのだろう。だから状態がよくないが、そこは目を瞑って鑑賞して欲しい。なにせ溝口健二の「最高傑作」と言われるほどの作品なのだから。

この物語は普遍的なのだろう。「この人は」と才能を感じた相手に、成長するための心からの直言。そしてその気持を受け止めてくれる関係。しかし歌舞伎・梨園の世界の若旦那と乳母で奉公人の女性(お徳)では立場が違いすぎて周囲から反対されてしまう。

父親尾上菊五郎の高名、親の七光りでチヤホヤされる立場を脱し裸一貫で飛び出してしまう尾上菊之助の志は立派だ。しかしだからといってうまく運ぶかは別な話。彼に心から芸の出来などを本心から誠実にアドバイスしてくれるのはお徳だけであった。次第に心も寄せてゆく。

大阪の尾上多見蔵の許に世話になるが、芸の不評は東京時代に輪をかけたもので、そんなタイミングに不運に多見蔵が亡くなってしまう。思案した挙げ句旅芸人に身を堕とす。

やはり散々苦労するが、そこへお徳が訪れ、あんま屋の2階部屋を借り、妻となり生活を身の回りのモノを売るなどし、何かと支えながら菊之助の出世をただひたすら願いながら助ける。

しかし菊之助の心は旅芸人を続ける中ですさみはじめ、「酒を飲むから金を出せ」といい、お徳を殴る有様になっていった。

5年ほど経ち、名古屋で菊之助の親友福助一行と出会い、復帰を頼み込む。事前にお徳は菊之助自身が福助に頼み込むように説得したが、拗ねた感情があり気が進まない様子だったので、当初より芸も上達し、勝算があると踏んだお徳はこれを絶好の機会と捉え福助に頭を下げる。しかし菊之助が復帰をするには、まず必ず二人は別れさせられると踏んだお徳は、菊之助と別れる覚悟をして臨んだのだった。

——物語は福助の舞台を大成功で終え、その評価をもって尾上菊五郎の許へ復帰を果たすがそこで菊五郎から「お前の上達は全て妻のおかげだ。それをすぐ伝えに行きなさい」と言われる。結婚を許してくれたのである。

お徳は旅芸人生活の中で病を患っていた。東京へは戻らず大阪時代の二人でくらしたあんま屋の二階部屋で、苦労しながらも生きがいを感じていた頃の記憶を懐かしみながら臥せっていた。そこへ菊之助が現れ二人の結婚が赦されたこと、菊五郎から授かった礼も告げ、心から喜ぶお徳、側の道頓堀では「舟乗り込み(芝居興行の前に役者が川を船上から挨拶をしてまわる晴れ舞台)」の囃子の音が聞こえてくる。

お徳は「仕事なのだから、舟乗り込みへ急いで戻ってあとからまたゆっくり会いましょう」といい、心残りながらも菊之助は「舟乗り込み」に向かう。菊之助が去ってまもなく「舟乗り込み」の囃子に包まれながらお徳は静かに息を引き取るのだった——

まあ、「ここ一番」の福助への懇願もお徳がやってくれたことで、肝心な場面ではお徳が全て支えてくれた。それなのに菊之助はこれからを順風満帆に暮らすことが出来るとは到底思えない。

「内助の功」を果たし尽くしたいじらしい「お徳」をいくらでも美化出来るが、ちょっとそれは「男性目線」で手前勝手な解釈なのではと引っかかる思いがある。しかしお徳も、それこそ誰よりも菊之助の成功を心から歓んでいると、我々にも確信を持たせる描写をしてくれている。

女性の皆さんの感想を是非聞いてみたい作品である。

わすれてはならないのは、モノクロながら、情景描写が素晴らしい。「ワンシーン、ワンカット」と呼ばれる溝口健二の技法らしいが、本作の魅力の多くはその景色の美しさと印象深さにある事に言っておかねばならない。