シートン

時計じかけのオレンジのシートンのレビュー・感想・評価

時計じかけのオレンジ(1971年製作の映画)
4.6
見終わった後に驚いたのは、これがSFとして扱われているということだった。これのどこがSFだというのか。「異常者」を「治療」し、「社会復帰」させることは、いま平然と行われているではないか。

あるいは、この作品のストーリーにおいては、アレックスが自殺を試みたことが、政府に対する批判を呼び、それがアレックスの「回復」に一役買ったわけだが、現在ではもはや前科者が自殺しようと、自業自得だと片付けられ、まったく政府の責任が問われないであろう。

これは50年前の作品である。いまはもはや、その予言の先を行ってしまっている。キューブリックが未来として描いた2001年は、われわれにとって、もはや四半世紀近く昔のことだ。

“時計じかけのオレンジ” を生産し、自らをもそのように改造していくことさえ望まれているこの現実世界をもっと恐れるべきである。だが、アレックスの「回復」に歓喜の声を上げた観客のわたしは、ろくでもないアレックスといかに関わるべきか。

わたしは、「公共の福祉」を称する者による人間の “時計じかけのオレンジ”化に、抵抗したい。 アレックスがいかなる犯罪を起こすにせよ、彼を “時計じかけのオレンジ” にすることを以てそれを防止することは、許されない、と。
すると、お前の身近な人が殺されても? と問われるだろう。そうだ、というほかない。

キューブリックらしく、相変わらず衒学的な音楽と舞台美術だったが、それもこの作品のサタイヤ的な、ブラックユーモア的な空気を演出するものとしてハマっていた。しかし、そのユーモアを笑っていられない恐ろしさ。それこそがこの作品の凄みだ。
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