ふたーば

市民ケーンのふたーばのネタバレレビュー・内容・結末

市民ケーン(1941年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

10年ぶりくらいに再視聴。古い映画を前より見るようになって少し見方が変わった。

この映画は結局ケーンという男をどのように描くかがすべてなのだと思う。それがうまくいっているかいっていないかでいうと、結論から言うと基本はうまくいってるが、蛇足も物足りなさもすごく感じてしまった。10年ぶりの再視聴で、そこが確認できたのがよかった。

確認できてよかったことといえば、よく言われる撮影の斬新さも今回は少し理解できた。役者の演技を正面ではなくいろんな角度から捉える変なカメラワークや、現実味がないのに奇妙なハリのある映像(これがあのパンフォーカスなのかな)が面白い。なるほどこれが1940年代の映画というのはかなりすごいと思う。

しかしやはり全体としては、演出の空回りも目立つ作品だと思う。ケーンの人物設定はかなり面白いが、その魅力を伝える表現がやや弱い。特に、親友や元妻による「お前は自己愛ばかりだ」「金は持ってるが何も与えてはくれない」などというセリフはやや説明的すぎて興味が削がれる。

他方でケーンが乗っ取った新聞社でイエスマンに囲まれながらどんちゃん騒ぎするシーンでは今度はセリフが抽象的かつ支離滅裂すぎて、登場人物の言わんとしていることが全く伝わってこない。このシーンだけ凝りすぎたのか、単純に脚本の力が弱いのかは不明だが、とても良いシーンとは思えなかった。

しかしそうかと思えば急に人間性に肉薄する場面もあった。劇作家の親友をクビにする場面がまさにそれで、このシーンは少ないセリフでケーンの魅力がものすごくくっきりと描き出されている。俳優の演技もとても好き。

結局、こういう玉石混交の脚本や実験的手法・語り口のリスキーな表現の多用によりかなりめちゃくちゃになったバランスを、「バラのつぼみ」というひとつのキーワードでギュッとまとめ、ラストのあっと言わせる大仕掛けで締めたパワーがこの映画の説得力の大部分を占めているのだと思う。これが初見だとそこそこ効く。

しかし、肝心のケーンという人間がどこまで人物描写として完成されていたかというと、この「バラのつぼみ」の一言をもってしてもまだまだ不十分なんじゃないの?と思った。ケーンのエゴには愛すべき部分もあったが、その理念もノスタルジーさえも稚拙であり、そしてその稚拙さの描写も映画表現としては不足を感じた。

まぁでもこれを25歳の若者が主演、監督、脚本をしたのだと思うとやはり頭の下がる思いがする。ただその後のウェルズを知ってる身からすると、大物に喧嘩を売る大博打はほどほどにして、キャリアも大事にしてもっと作品を見たかったな……という気持ちもある。もちろんそんなこと気にしていたらこんな作品が生まれることはなかったんだろうけどね……
ふたーば

ふたーば