せーや

市民ケーンのせーやのレビュー・感想・評価

市民ケーン(1941年製作の映画)
4.3
市民権じゃないよ
市民ケーンだよ

アメリカを席巻した新聞王ケーン。
彼は「バラのつぼみ」という言葉を残して死んだ。
その言葉の意味を探るべく、ニュース記者トムスンは
ケーンに関係のあった人物に取材へ向かう。

偉大な映画人と言われるオーソン・ウェルズのデビュー作。
実はこの映画の前に何作か製作中止になった作品があるようで。
さらに映画は実在した新聞王ハーストを基にしたため
彼による公開中止運動まで起きたと。
そんな色々な事情のある本作。

その独特な演出から
映画史において革命的な作品として評価が高く
現在の映画の礎とまで言われたりする。

今見ると、おそらく当時ほどの斬新さは無いんでしょう。
こういう時代の革命的な作品は
公開当時に見たかったというのが本音。
(今だから逆に新しいとも捉えられるかな?)

なので今ではストーリーに目がいくでしょうか。

主人公は新聞王チャールズ・フォスター・ケーン。
彼の死から物語は始まり、
彼の最期の言葉「バラのつぼみ」の謎を解くために
彼の幼少期から晩年までを振り替えるスタイル。
時間軸が行ったり来たりするのは今では当たり前の演出。
当時は珍しかったんでしょう。

「彼は孤独な人だった」
「彼は愛を求めた」
「彼は人を信用しなかった」

ケーンを知る人物は口々に言う。
彼は独りぼっちだったのだと。

新聞王という名声と富を得、
何不自由なく生きたように見えるケーンが
なぜ、孤独だったのか。

ケーンの人生を振り替えるストーリーですが
彼の孤独さや自己愛だったり
常に人に上から目線な性格だったり
どの時代でも、彼はひねくれた人物として描かれる。

そして一番、強調されているのは「愛」。
彼は、人に愛を求めた。
自分を愛してくれる人物を。

どれだけ富と名声を得ても、
孤独感を埋めてくれる人は得られなかった。

「バラのつぼみ」の意味は
言葉にはなりませんが明らかにされます。
これを一度で理解できる人はエラい。

「バラのつぼみ」は
彼の失ったものであり
彼が欲したものだった。

それは幸せの終わりであり
悲劇の人生の始まりだった。

こうやって見ると、昔も今も変わんないなあ、と。
そしてありきたりなテーマを、
ここまでのストーリーに盛り上げたウェルズすごい。

25歳で この映画を撮り
あまりにも有名になってしまったために
本作以上の作品を残せなかった彼。
それがまるで、ケーンの人生のようで。
ウェルズ本人の映画人生も、悲劇だったのかもしれない。

見とかないと恥をかく(?)作品のひとつ。
せーや

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