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PASSIONのAZのレビュー・感想・評価

PASSION(2008年製作の映画)
4.1
普通とはなんだろうか。この作品に出てくる登場人物たちはなぜおかしいと感じるか。それは、本来人が無意識にやるべきことをしていないから。つまり他人からどう見えるかというものを省いたときに見える人間の本質をそのまま見せてしまっているからだろう。人間が持つ本来の普通は彼らの姿なのではないか。

人は社会と結びついているから、その社会に適合していかなければならず、自分を隠して生きているもの。それを見せてしまうとその社会から追い出されてしまう。

人は自分というものを演じて生きている節がある。その部分をしっかりと捉え抉りまくっている作品。

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安っぽい映像に、ブレブレのカメラワーク。不自然なキャラクターや会話など…。所詮学生の作品という印象だったが、見終えてみるとあらゆる場面が計算のもと作られていたのだと感じる作品だった。そうなってしまったのではなく、あえてそうしたのだと(ブレブレカメラワークは技術的な問題だけど)。

違和感やその不気味さが伝えいことの本質と繋がっている。最終的にもはや違和感はなくなり、むしろものすごくリアリティを感じるものへと変わっていった。

死についての話はあまりにも唐突で拒否反応すら感じたが、終わってみると強く印象に残る重要なシーンであった。彼女の生き方が、人の死と暴力の考え方に繋がってくる。

だが、そこにはジレンマが生じており、さらに言えばそう考えている彼女自身も感情の部分では矛盾したものを抱えている。言葉ではそう言っているが、心では別のことを感じてしまうという人間の本能。理性と本能。この部分がこの映画で重要になってくる。

本音を伝えることで、初めて心が解放され互いを受け入れるトリガーになる。突き放すことでむしろ心の距離が近づくという人間の複雑性。その辺りの予兆というか説明は真実の泉の話の場面ですでに描かれていた。

好きだからこそ自分の本音、たとえそれが相手を怒らせり傷つけるとしても伝えたいのだと。そこから何かがが生まれる可能性を信じること。

人を好きになったり受け入れたりするのは簡単なことではない。そう言った表現はたくさん見てきたが、ここまでその複雑性を見事に表現している作品は希少だと思う。

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初期の作品なので相変わらずというのも変だが、吸引力がやはりすごい。

「自分」と「他人」の話から流れが変わっているように見えて、最初からもう異様な雰囲気が漂っていた。自分を剥き出しにする登場人物達。だから真実の泉ゲームを始めた時、やはりと思った。

対話というものを一貫して表現している。相互理解について。人と人は絶対に理解し合うことなんて無理なのだということ。その中でどのようにして互いを受け入れていくかということ。

本音と建前。本能と理性。人はある程度自分を演じて生きていると言える。要はフィルターをかけて本来の自分は見せないようにしている。

だから、この映画に登場する人物達はすごく不気味で怖い存在として映る。そういったフィルターを外してしまっている。だが、人間の本性と向き合っているとも言える。

圧倒的な人間の悪の部分を見せつけられ、傷つき、絶望感を感じている中で圧倒的な善や愛を表現され、思わず涙が溢れてきた。なんだこれは。。

終盤まで異様な恋愛模様、目を背けたくなるような不気味で生々しい姿を見せつけられる。そこにある魅力的なもの。惹きつけられる人間の本質の部分。

そこから最終的にはよりリアルな男と女の再生と愛が描かれて終わるという展開に感服。これを卒制ですでに作っちゃっているのがヤバすぎる。

異様すぎて笑ってしまった部分もあるがさすがの作品だった。
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