Jeffrey

フェイスのJeffreyのレビュー・感想・評価

フェイス(1997年製作の映画)
3.0
「フェイス」

本作はのアントニア・バードが1997年に監督したイギリス映画では、ロバート・カーライル主演の強盗団の破滅への道ゆきを描いたサスペンスである。この度、DVDにて鑑賞したが、まぁ上々である。当時の90年代のイギリス映画「トレインスポッティング」「フル・モンティ」「ブラス!」と話題作が続くイギリス映画の中で、その人気を支えるのは、確かな演技力と個性を備えた俳優たちとその層の厚さであることが一目瞭然で、共通しているのはいずれの作品も今のイギリスの側面を描きながらワールドワイドに共感できるテーマを持っていることである。本作についてもそれは例外ではなく、小さな欲望が全てを破滅の縁まで追い詰める物語で、「フェイス」と呼ばれる武装強盗集団の物語を5人のメンバーそれぞれに理由があり、金儲けの犯行に加担するが、1つの失敗によって何もかも崩れ去ってしまう。

それは彼の金への執拗な執着心がもたらす破壊的な力、つまり今日の英国体質そのものであるかを見せつけているような映画である。そうした脚本が、見る私たちが共有する痛みそのものであるかのように見せ、また、撮影は監督のアントニア・バードが20年近く住んでいたロンドンのイーストエンドで実際に行われ、映画に登場するキャラクターは彼女の知り合いをモデルに描かれている点を見ると、本作は単なる犯罪映画ではなく犯罪者側の目を通し現代社会において変わりつつある犯罪そのものと犯罪に走った彼らの背景や動機をリアルに感じ取れる作品となっている。それにしても本作の主人公のロバート・カーライルはいい役者である。

「Trainspotting」の凶暴なアル中男を演じ、オスカーにもノミネートされていたと思うが、彼のこれまでの役柄に共通するのは、定食をもてない男であり、それは、演じる役柄に今日のイギリスが抱える社会問題が反映されているのと同時に、あくまでもイギリス映画にこだわり続ける彼のスタイルの表れではないのかと思うほどだ。この映画でのカーライルは4人の仲間をまとめるリーダー役を、ときにはクールに、ときには優しく演じ、まさにカーライルの新しい魅力が存分に発揮されており、深く静かな感動が待ち受けているのだ。この作品男の心を見据える作風だが、監督が女性と言う所にも面白さがある。彼女は、今までの作品でも女性ならではの視点から常に揺れ動く男心をとらえた、力強い映像で物語を引っ張っていっている作品がある。

そしてドラマを厚くする脇役たちのUKロックバンドのカリスマ、ブルーのデーモン・アルバーン映画初出演もポイントである。主人公を取り巻くキャストにUKロックシーンにおいてオアシスと人気を二分するロックバンドのボーカルが出ていると言うのも素晴らしい。デビュー前に演劇学校に通いミュージックビデオを作ったこともあると聞いて、監督がアプローチし、快諾を得て、実際演技と言う未経験のことを刺激的で、カルチャーショックを感じたと言うが、しばらく映画出演はしないと語っていたのが懐かしく思う。この作品はUKロックが全編に流れるのがすごく個人的には好きだ。70年代のロンドンにパンクロックムーブメントを起こしたクラッシュ。そのクラッシュのロンドン・コーリングを始め、テクノからドラムベースやアコースティックなサウンドまでUKロックが存分に味わえる。

オープニングを奏でるのはポール・ウェラーの有名曲であるし、どんなものにも代償があると言う主人公レイの心境と、くすんだロンドン、イーストエンドの影を切なく歌いあげている。それにしてもロケ地のイーストエンドはロンドンのホットプレイスなんだろうきっと。


さて、物語はロンドン、イーストエンド。廃屋のフラットが並ぶブロックに止まった車から2人の男が降りた。フェイスと呼ばれる強盗集団のレイとその手ほどきをしたデイブだ。今度のヤマは造幣局襲撃。メンバーは全部で5人。見るからに抜け目のなさそうな顔つきのジュリアンは、道具等車両調達の担当、見張りはレイのムショ仲間のスティービー。いずれも気心が知れた仲間ばかり。気がかりなのはこれが初めてのヤマになるジェイソン。彼はかつて一緒に仕事をしていたソニーの甥っ子である。日々の生活の中で理想の炎は消えかかっている。レイは自分が捨てた道を歩いている母、地域のコミニケーションセンターで働く恋人コニーに会うたびに苦い記憶が蘇る。犯罪を犯しても仲間への信義を欠かさず昔かたぎを貫くレイにとってはそれが最後の拠り所になっている。そして、彼らは造幣局での武装事を実行する…と簡単に説明するとこんな感じで、当時のイギリスの厳然たる階級社会の国を表した1本である。

支配者層にあたる上流階級がピラミッドの頂点に君臨する一方で被支配者にあたる下層階級(労働者階級)がその底辺を支えることを余儀なくされているイギリスの雇用する側される側が明確に区分けされ、ワーキングクラスと呼ばれる階層の人々が自己資金を蓄え、事業で成功すると言う例は滅多にない。つまり好景気の恩恵に授かっているのは経済活動に直接関わりを持っているー部の投資家や資本家のみと言うのが現状なんだなと思わせられた。また、労働者は安い賃金での過酷な労働を強要され、失業と貧困の悪循環を繰り返す。その悪循環から抜け出すためには宝くじを当てるか、銀行でも襲うしかないと言う感じで、この作品のテーマは銀行強盗になる。イギリスのワーキングクラスが抱える不条理を強盗と言う過激な方法で理想実現化しようと企てているのが、この映画の根源的なテーマだろう。

そもそも物語の舞台を見てみると、東に広がるイーストエンド地区である。文字通りロンドンの東の端に位置するこのあたりは、19世紀中旬ごろまでは造船所や工事現場で働くアイルランド系移民の住処であった。その後、ユダヤ系、中国系の移民が、第二次世界大戦後にはインド人やパキスタン人(カセットテープダイアリーズと言うここ最近の映画ではパキスタン人の差別を描いていた)の流入が相次いだ。安価な賃金で雇える労働力は戦後の復旧作業を迫られていた当時のイギリス政府にとっても歓迎すべきものであったことがわかる。ところがどっこい、一方では移民のおかげで職を失った白人層が右傾化し、有色人種排除運動を行うといった問題も同時に起こるようになる。時折日本のニュースでも話題にのぼるナショナル・フロント(国民戦線)と呼ばれる組織がそれである。

本作にもクルド人に対しての差別運動に参加すると言うエピソードが登場している。これもヨーロッパでは移民問題がいかに日常的な出来事であるかの象徴と言える。それに疲れきった英国は脱EUをやったのである。昔からイギリス人は賭け事が大好きで、日本の相撲まで賭けの対象にしたりするのが話題になっていたが、この作品でも曲当てクイズに必死になるイギリス人が車の中でラジオから流れるそのクイズを楽しんでいるのを見ると、イギリス人だなと思うのである。確かイギリスでは賭け事は国家公認の事業だったと思う。サッカーやラグビー様々なものを対象にしてしまうところが滑稽だ。テンポよく展開していくストーリーを追ううちに、イギリスという国が抱える問題点や社会構造が見えてくるのが非常に面白い。この映画で生活観や人生観を象徴するエピソードのー部に過ぎないこれらは、観客に様々な問題を提起していることを理解できる。

イギリス社会について考える機会を同時に与えてくれる素晴らしい作品である。まさにイギリス映画の醍醐味はそんなところにあるのではないだろうか。イギリスの変わりつつある現代社会の中で、犯罪に走らなければ愛する人の面倒を見れない男たち、金の力による悪もリアルに描かれていて、イギリス映画の強さを見せつけられるような映画で、なんといってもロバート・カーライルがあえてこんな複雑な反応を起こす悪役を選ぶのが素晴らしかった。1つの失敗が裏切りに変わってゆく。ギリギリの精神力で自分たちを守っている。でも強い男の人が女の人や子供に弱い。お金は大切だけれども、結局は愛する人々の大切さに気づいてくれたり、愛が勝ってしまうような物語でもある。この映画はハリウッドとは違う面白さがあり、人間が深く描かれている。
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