ポルりん

スタンド・バイ・ミーのポルりんのレビュー・感想・評価

スタンド・バイ・ミー(1986年製作の映画)
4.7
■ はじめに

本作を初めて鑑賞したのは小学生高学年だっただろうか・・・。

その当時は、本作を単純に面白い冒険活劇としか認識していなかった。

ただ、一つ気になったのが本作に登場する少年たちが、あの冒険以降、徐々に疎遠になっていくということである。

当時の私はクラスの中でも比較的友人が多い方であり、この友人たちとは大人になってもずっと友人のままだと思っていた。

だから、この少年たちが成長するにつれ疎遠になっていくのが、どうしても理解できなかった。

あれだけの冒険を共にした仲なのに・・・。


そして時は経ち、私も大人になり結婚し子宝にも恵まれた。

今なら分かる。

毎日のように遊んでいた友人とも、進路が変われば徐々に付き合わなくなり、やがては疎遠になる。

そして、大人になるにつれ性格が変化し、似たような知性や性格の人同士で付き合うようになる。

だから、久しぶりに再会しても全然話が合わず、気まずい空気になってしまう。

そうやって、友人は友人から元友人となってしまうのだ。


そんな元友人達との、楽しかった記憶や経験の数々をノスタルジックに思い出させてくれる作品が、この「スタンド・バイ・ミー」である。



■ あらすじ


時は、1959年の夏。

オレゴンの田舎に4人組の少年がいた。

少年たちはいつものように木の上の家に集まっていた。

そこに仲間の一人がビックニュースを持って飛び込んできたのだ。

なんと、線路沿いに30キロほど行ったところに、何週間か前に姿を消した近所の少年の死体があるらしいというのだ。

もし自分たちが少年の死体を見つけたら、新聞に名前が載るばかりか、テレビにも出るかもしれない。

俺たちは町中のヒーローだ。

4人の少年たちは、それぞれ家の人にはお互いの家に泊まりに行くと言って、死体探しの旅に出る。

その旅は、死体探しと同時に、4人を子供時代から大人の世界の端まで連れて行く旅でもあった。



■ 元ネタ


本作「スタンド・バイ・ミー」はスティーブン・キングの短編小説「死体」を映画化したものである。

そしてこの作品には、元ネタが存在する。

1つはスティーブン・キングの大学時代のルームメイト、そしてもう1つはスティーブン・キング自身の体験である。



① ルームメイト


彼が大学時代、上流階級出身のルームメイトがいた。

そのルームメイトは、こんな噂をきいたのだ。

線路沿いに列車に轢かれた犬がいる。

そいつは、線路沿いのどこかで身体を膨張させて内臓をぶちまけて死んでいるという。

ルームメイトは死体が見たく、線路づたいに歩き、死体探しの旅に出る。



② スティーブン・キング自身


彼が4歳の頃、親に

スティーブン・キング「線路沿いにある近所の子の家に遊びに行く!」

と言い、家を出た。


それから1時間後・・・。

彼は家に帰宅してきたのだ・・・血の気の失せた顔をして。


親「なぜそんなに早く帰ってきたの!!ひとりでどうやって歩いてきたの!!」


と聞くが、彼は一切話そうとしなかった。

それからしばらくして、衝撃の事実が明らかとなった。

なんと、彼と一緒に遊んでいた子が、走行する貨物列車に跳ねられて死んでしまったのだ。


周囲に色々と話を聞かれるが、彼はその日に何が起きたのか分からない。

その部分の記憶が全くないのだ。

事故の現場を見たのかどうかすら、記憶から抜けている。


後に彼は、この経験をパネル・ディスカッションで話すこととなる。


参考:(『死の舞踏』スティーヴン・キング、訳:安野玲、ちくま文庫)〉





■ キャラクター


本作は主に4人の少年を軸に物語が展開する。



・ゴーディ


内向的で真面目な性格で、4人組の中では比較的大人っぽい。

物語を作る才能に恵まれているが、心に重大な問題を抱えている。


彼はこの夏、実の家族から透明人間のように扱われていたのだ。

原因は、数カ月前に愛する兄のデニスが交通事故で亡くなった事。


その事故以降、両親がまるでゴーディの存在を忘れてしまったかのように接する。

特に父親は、ゴーディよりスポーツ抜群のデニスを可愛がっていたから、余計に酷い。

父から「デニスの代わりに、お前が死ねばよかった」とまで言われてしまう。




・クリス


友達がいじめられていると助けるなど正義感があり、4人組の中では一番大人っぽく頭がいい。

友達思いの面があるリーダーで、明るい性格でやんちゃな面もあるが、彼も心に重大な問題を抱えていた。


彼は、全員が嘘つき、泥棒という印を押されてしまっている家族のことで悩んでいたのだ。

だから、学校で給食代が消えた時に当然の如く自分が責められたのだ。


更に、先生のとある裏切り行為によって、より心に大きな傷を抱えてしまう事になる。

自分の事を誰も知らない場所に行きたいと強く願っている。



・テディ


大きな眼鏡をかけており、明るい性格でやんちゃで子供っぽい。

一見すると、4人の中で最も悩み事に無縁そうに見えるが、例にもれず彼も心に重大な問題を抱えている。

彼は、父親からストーブで耳を焼かれるといった虐待を受けた過去を持っているのだ。

そんな父親でも、ノルマンディーで勇敢に戦った素晴らしい父なのだと、誰よりも尊敬し愛している。



・バーン


ノロマで臆病なうっかり者。

4人の中で一番子供っぽく、いつも空想ばかりしている。

唯一、心に重大な問題を抱えていないキャラクター。




このように非常に魅力的な4人のキャラクターであるが、実はこれらのキャラクターは、原作者であるスティーブン・キングの過去の特性に大きく反映されているのだ。


スティーブン・キングは少年時代、太り気味で気が小さく、髪型を気にし、空想にふける肥満少年だった。

これは、本作でいうバーンの特性と酷似している。


更に、スティーブン・キングは周囲から過小評価されるのが嫌で、メイン州立大学に脱出する。

これは、クリスの行動と酷似している。


その後、スティーブン・キングは町工場で働くが、小さな町のドームに囚われている感じを身をもって知ることとなる。

これは、その後のテディにあたる。


そして、本作で最もスティーブン・キングに近いのが、主人公であるゴーディである。

彼は心優しい性格をしていたが、心に大きな葛藤を抱えていた。

クリクリとした目を持ち、焚火を囲みながらいつも友達を作り話で魅了していた。

そして、ゴーディが将来小説家になるように、彼も小説家になる。




このように「スタンド・バイ・ミー」では、スティーブン・キングの個人的要素が強く響いているのだ。

そして、少年たちは4人とも父親から何かしらの苦痛を与えられているが、そこにはスティーブン・キングの失踪した父親が少なからず影響しているように思える。



これらのキャラクターに関しては、非常に好感が持てるのだが、少年たちの敵であるキーファー・サザーランド演じる”エース”に関しては、どうしても好感が持てない。


彼は不良グループのリーダーであり、郵便受けをバットで破壊したりと無軌道に振る舞っている。

一見すると悪党のように見えなくもないが、内面的な18歳前後の悪党を全く描けていない。

カリスマ性がなく、これといって特徴がない小心者のゴロツキにしか見えないのだ。


この小心者のエースが少年たちの敵となり、危機的状況を生み出す役割を担っているのだが、エースが絡んでくるシーンは救いがたくデキ悪い。

高校を卒業したての小心者が、幼い少年を威嚇しイジメているようにしか見えないのだ。


キーファー・サザーランドが演じているだけあって、パッと見は吸血鬼のような魅力的なキャラクターを表現しているのに、中身が残念なので全く脅威に感じない。

個人的には、エースを小心者のゴロツキにするのではなく、年相応の人非人のキャラクターをしっかりと描いて欲しかった。



因みに、監督のロブ・ライナーは、本作のオーディションで数百人の子役に会う事となったが、ゴーディ役のウィル・ウィートン、クリス役のリヴァー・フェニックス、バーン役のジェリー・オコネルは、一目見ただけで即座に決めたという、キャスティングに関して天性のひらめきを持っている。

そんなロブ・ライナー監督でもテディ役のキャスティングに関しては難色を示したらしい。

テディがあらわすような怒りを持つ12歳などめったにいないからだ。

そんな中、彼はコリー・フェルドマンを一目見て、この子だと即座にわかったという。


彼は言う。

「この子に何が起きたのか知らなかったけれど、彼の心は激しい怒りでいっぱいなんだ」






■ シナリオ


本作のストーリー構成は、現在から入って、過去を振り返るかたちで物語が展開し、最後に再び現在に戻るタイプの回想法・・・いわゆるサンドイッチ回想法を手法としている。

これは、回想の時代が現代と遊離している時に、それを現代に連想させる際に使用されることが多い。

また、初めは何でもないただの語り手にしか過ぎないキャラクターだが、過去から現代に戻ると、成長した主人公もしくは重要人物に見えてくるのが、このサンドイッチ回想法の醍醐味でもある。

これが上手くハマりさえすればものすごい効果を発揮するが、使用法が難しく、下手するとストーリー全体をぶち壊してしまう諸刃の剣となっている。


例えば「タイタニック」。

こちらもサンドイッチ回想法を手法としており、全体的にかなりの高レベルな作品となっており、名作と言っても過言ではないと思う。

ただ、サンドイッチ回想法を使用することによって、少々違和感を覚える箇所が出現してしまうのだ。


「タイタニック」は1912年に起こったタイタニック号での出来事が描かれており、それらの物語は全てヒロインのローズが回想するというものになっている。

そうなるといささか疑問に残る点がある。

主人公であるジャックがポーカーで勝って乗船券を手に入れることなど、ローズがジャックが出会う前のジャックについて克明に描かれている。

知るはずがないのに、どうやって思い出すことが出来るというのだ。

まあ、これに関しては単に劇中で描いてないだけで、ジャックがローズに色々と話したのかもしれない。

だが、ジャックが恋敵であるキャルによって船室に監禁されている時の出来事はどうだろうか・・・。

こちらに関しては、沈みゆくタイタニック号を脱出している最中に、そんな監禁された前後の出来事など悠長に話している余裕などないはずだ。

どう考えても無理がある。


このように「タイタニック」のような名作であっても、サンドイッチ回想法を使うと違和感を覚える箇所が出現してしまうのだ。(因みに「タイタニック」がアカデミー賞14部門にもノミネートされていたが、脚本賞にはノミネートされていない)


では、本作の「スタンド・バイ・ミー」はどうだろうか・・・。

こちらに関しては完璧にハマっており、サンドイッチ回想法を最大限に有効活用している。

ほとんどが、主人公であるゴーディ目線で物語が進んでいき、ゴーディが知りえない情報は極力カットしている。

一応、ゴーディが知るには難しい情報もあるが(主にエース関連)、本作はゴーディの回想と同時に小説の中身を映像化しているという体を成しているので、違和感がない。


それとよく物語上でサンドイッチ回想法の必要性がないのにそれを使い、物語をぶち壊している作品をよく見かけるが、本作の場合は違う。

サンドイッチ回想法でなくてはダメなのだ。

あれだけ仲が良く絆深い友人でも、時間と言う最大のモンスターには勝てずに、運命の風に流されてしまう。

現代進行形では、これを肌で感じる事が出来ない。


また、ラストの大人になったゴーディが言うセリフ、


ゴーディ「12歳の頃のような友達は、もうできそうもない」


が最大限に活きるのだ。

このセリフを聞いた視聴者は、反射的に自分の少年時代に照らし合わせ、失った友情や思い出に悲嘆し感動するのだ。

私が少年時代に、本作をただの冒険活劇としか捉えておらず、感動しなかったのはそのためである。

素晴らしい構成の物語であり、脚本がオスカーにノミネートされたのも納得だ。



また本作は、少年たちの死すべき運命の暗示をテーマにしていることもあり、つねに死がそこに存在している。


・事故死したゴーディの兄デニス

・クリスの父から盗んできた銃

・線路の上での肝試し

・少年の死体


当初の目的は『死体を発見し町の英雄になる』ことだったが、少年たちは冒険することにより大きな気付きを得る事になる。

そう、死が生活の一部だということを・・・。

物語上では、いくつもの死を含みながらも、少年たちに滑稽味のある侮辱を加える事によって無理に押し出していないので、視聴者は自然に本作のテーマである少年たちの死すべき運命の暗示を体感できるように仕上がっている。


物語のトーンに関しても、無頓着な十代のユーモアと悲しみと希望の間で、素晴らしく魅力的なバランスを保っている。


上映時間は90分と決して長くないが、その中身は濃厚でそこらの映画よりも遥かに詰まっていると思う。

冒険の途中での、多感な少年の行動や心理の細かな描写も素晴らしく表現してたし、彼らの友情を観ているだけで心が沁みてくる。


色々と印象に残っているシーンはあるが、個人的に最も印象に残ったシーンは、夜クリスがゴーディに先生から裏切られた事を告白するシーンである。

今まで4人の中で、最も大人っぽくゴーディが親について悩んでいる時に、ゴーディの親を批難して


クリス「俺がお前の親になってやる」


と言ったり、友達思いで頼りがいのあるクリスが、この時だけは年相応の少年になり抑え殺していたものが爆発し、悔しいと大泣きする。

誠に素晴らしい。

クリスの姿を見ていると、感情移入してこっちまで泣けてきてしまう。


また、不遇な立場にも関わらず、己の努力のみで大学に行き、結果的に弁護士になったことに関しては非常に心打たれるものがある。


回想のラストで、クリスが


クリス「また、会おうぜ!!」


と約束するしてから、フェードアウトの編集が入り、自然と疎遠になるというのも、切ないながらもいい。



基本的にシナリオに関しては、問題はなく素晴らしいデキだと思う。

だがあえて言うなら、劇中でゴーディが作り上げた物語、「でぶっ尻ホーガン」くらいだろうか・・・。


この物語は、ラーダスという名のデブ少年がコンテストに参加し、自分を慰みものにしてきた町民にゲロを吐き、会場を「ゲロ祭り」にして復讐をするというものだ。

実に狂乱の漫画チックで興味深い話ではあるが、この話には少々おかしい所がある。

ラーダスは、ゲロを吐くために一升瓶はあろうヒマシ油を飲み干し、見事にゲロを吐くことに成功するのだ。

これはおかしい。


ヒマシ油は催吐薬ではない・・・。

下剤である。


だから、ラーダスは町人の顔面に向かってゲロを吐くのではなく、本来は、町人に向かって尻から下痢を噴射し会場を「下痢祭り」にするのが、正解だろう。

まあ正確に描写した場合、劇場内やお茶の間が「ゲロ祭り」になってしまうかもしれないが・・・。

この場合、ヒマシ油を飲み干すのではなく、普通に催吐薬を飲んだ方が整合性が取れていいと思うのだが・・・。


とはいえ、この物語はゴーディの作り話なので、ゴーディがヒマシ油が何たるかを把握していなかったと言われれば、それまでだ。

特段気にすることでもないかもしれないが、せっかくここまでディテールがしっかりしていたのなら、ここくらいは整合性が取れるようにして欲しかったな・・・。


まあ、本作のシナリオが素晴らしい事には変わりないけど・・・。



■ 主題歌「Stand by Me」


主題歌である「Stand by Me」の素晴らしさと言ったら、言わずもがなだろう。

この映画が出来る前から存在する曲なのに、この映画のために創られたとしか思えないほど作品にマッチしている。

エンドロールでこの歌が掛かると物語の感動も一入となるもんだ。


因みに本作の曲は全てロブ・ライナー監督が選曲したものである。

彼は、小説の原題「死体」ではロマンに欠けると悩んでいた。

そんな時、ベン・E・キングの「Stand by Me」を聞いていた。

その哀愁を帯びた旋律を心に思い描いたとたん、映画の題名も決まったらしい。


いや、本当にセンスのある監督だ。




■ 総括


ロブ・ライナー監督は、スティーブン・キングに本作を観てもらう日、怖じ気づいていたらしい。

そして上映後、彼は目を赤くしてロブ・ライナー監督にこう言った。


スティーブン・キング「これまで僕が書いたものを映画化した中で、最高のできばえだ」


これには私も完全同意である。

私は全てではないにしろ、スティーブン・キング原作の作品を数多く鑑賞してきた。

その中で一番好きな作品だし、ノスタルジー映画の中でも一番好きな作品である。




≪告知≫

ここまで私の駄文長文をお読みいただき、誠にありがとうございます。

本作とは微塵も関係ありませんが、

実は最近・・・Youtube始めました。

映画関係ではありません・・・。


生きてる人間のゾっとする話を朗読するチャンネルとなってます。

より臨場感や恐怖を味わって頂く為にフリーBGM,SEを使用し、今まで観た映画の知識やFilmarksで培った技術も取り入れています。

見た方を恐怖のどん底に叩き込み、睡眠を妨げるレベルのクオリティーを目指していますので、宜しかったら閲覧いただき、厳しいご指摘や罵倒の方を宜しくお願い致します。



人怖ラジオ
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