せいか

スタンド・バイ・ミーのせいかのレビュー・感想・評価

スタンド・バイ・ミー(1986年製作の映画)
2.0
金ローでやっていたのでぼんやりと観る。無慈悲なエンディングカット芸は健在である。

再視聴かつ原作も読みはしているが、記憶がだいぶ曖昧になっていた。なんか少年たちのイニシエーションの旅を青春で味付けした感じだと覚えていたので、死体は見つけたかどうかとかはスッポリ抜けていた。見つけていた。なんならそのクライマックスで主人公である語り手(よくできた兄を亡くし、自信喪失をしている)が改めて死と向き合いもするのだった。

舞台はアメリカのキャッスルロックという典型的な田舎町である。キャッスルロックはキングが創作した架空の町で、彼の作品のいくつかで舞台になってもいる。他の架空の町同様、キャッスルロックも他の作品では不思議な因縁を持つホラー小説らしい舞台として描かれているのだが、本作においてはそのへんの要素は殆ど失せ、単純に、「どこかの廃れた貧しい田舎町の一風景」として観ることもできる。

子供から大人へと進むための行動を仲間たちと共にするという意味でよく『イット』(※の場合は少年期のころのほう)と並べられる作品で、観ていてとにかくあちらもいちいち彷彿とさせられるところがある。
イットも本作も子供たちがそれぞれ抱えている不安や悩みと向き合い(特に本作はメイン2人)、その障壁を認め、そこから先へ進もうとすることが描かれている。
メインのふたりが道中で言葉を交わし、自分が抱いているくらい気持ちをさらけ出して、相手を不器用に慰め、鼓舞するところはいちいち胸を打つ青い素直さと閉塞感とやるせなさを感じるし、同時に癒しのようなものも感じる。

人生のこの一瞬の繋がりののち、彼らは成長と共に自然に道を分かち(このあたりの行く末には「アメリカの田舎町らしい」残酷な厳しさも見えるところがあるのだが)、疎遠になっていくのだが、大人になった語り手の主人公の(語弊があるが)郷愁というか、少年期の煌めきへの懐古と、ある種、すっぱりと過去の物として閉じ込められる切なさが余韻となって残る作品だなあと思う。亡き人となったかつての、もはやもう二度とは得られまい友人への親愛のラブレターであり、彼と共にこの思い出を送り出すような……。(これからも彼の中で支えにはなるだろうが。)

イットもそうだけど、このへんの独特の寂しさを表現するのが巧みよな。
せいか

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