Eegik

スタンド・バイ・ミーのEegikのネタバレレビュー・内容・結末

スタンド・バイ・ミー(1986年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます


24/4/5(金)
字幕版Primeレンタル330円
『グッバイ、ドン・グリーズ!』きっかけで観た 

うお~~~名作・・・・・・ こんなド直球に、ザ・古典的名作映画らしい映画を観たのはいつ以来だろう。
夏の田舎ノスタルジー、青春モノが大好きだといっておいて今まで観たことがなかったけど、ようやく観れた。ていうかこれもスティーヴン・キング原作なんかい。
濃厚なBLだったな…………まっすぐ過ぎて面食らってしまうほど。

名作であることは否定しようがないんだけど、合わない部分も多かった。
それは、4人の友達ノリが、いじり合い/煽り合いや、度胸試しによる「男」の見せ合いを基調とした、めちゃくちゃ男社会のマッチョなノリであったこと。果たしてわたしの育ちが良すぎるせいなのか、時代の違いなのか、それとも国の文化の違いなのか、それともフィクション(or回想段階)による誇張なのかは分からないが、自分の少年時代と照らし合わせても、こういうものと無縁な「12歳」を過ごしたし、個人的にこういう男社会のノリが根本的に苦手なので、うげぇとなりながら観ていた。最終的なプロットを見ても、ヒルで「去勢」されたところから「拳銃」を突きつけて立派にひとり勃ちするようになるという、深読みとかいうレベルではない明け透けな男根譚だったし……。※この点で、「敵役」として配置されていた兄の同期の郵便ポスト破壊青年たちと主人公4人は、対立する陣営ではなく共に「男社会」を規範とする同族である。そのなかで行われた「競争=チキンレース」が本作の物語の概形であり、それにゴーディらは「勝利」して立派に跡を引き継いだに過ぎない。……とすると、回想外でのあっけないクリスの死は、そんな「男社会」ノリの空虚さを提示したものとして肯定的に捉えられるかもしれないが、逆に、形骸的な「男」のロマンチシズムの典型に過ぎないと一蹴することもできよう。(『サクラノ詩』……)
みんな父親からの承認(の欠如)に飢えていて、相手を貶すときにはその母親を持ち出すのがいちばん効果的な世界観。罵倒で何度「pussy」と聞こえただろうか。徹底的に女性を排除して作り上げた「少年(=理想の「男」のタマゴ)」たちのノスタルジーという構造には、フェミニズムを持ち出すまでもなく、自分の生来の性質として忌避感を覚えざるを得ない。(自分の子供まで「男」しかいないのはテーマから要請される必然ではあるが、だからこそグロすぎる!!)

ここから分かることは、僕が好きな「青春」モノとは、こうした男根中心主義的な「男社会」ノリの対極にあるものだということだ。(岡田麿里、志村貴子……) 男子校ではなく共学の世界観というべきだろうか、「少年」と同じくらい「少女」もいて、どちらの葛藤も内面も描かれる物語。「少年・男」が出てきても、それは『スタンド・バイ・ミー』的な「男らしさ」規範からは外れた、いわば「女性っぽい」男キャラである作品ならセーフ。または女子メインの青春モノも好みなことが多い(『花とアリス殺人事件』『みすずの国』『夏色キセキ』etc.)。
これらを踏まえると、ヘテロが好きとか、女性メインの話(美少女モノ、百合)が好きというよりも、根っこにあるのは「男社会ノリへの忌避感」というネガティブな感情なのかもしれない。その要素が薄いものを求めた結果、男女入り乱れる群像劇や、女子メインの(ヘテロ)百合、女性主人公の少女マンガや美少女ゲーム(エロゲ)を好ましく思う傾向にある……?

・気になること→本作におけるホモソーシャルと「BL」っぽさの両立は偶然的なのか必然的なのか。

・シスヘテロ男性のフェミニストとして、「男性学」も勉強しなくちゃとは思うものの、感覚的にまったく乗り気がしないのも、「男社会」「男らしさ」をメインに据えた文章に浸りたくないからだと思われる。たとえそれを否定するための空間だとしても、それについてひたすら議論を重ねるのを読む気がぜんぜん起きない。ハナからそういうものが嫌いで逃げ続けた/ている人生だから、自分には必要ない!という明らかに色々と間違った想いを叫びそうにもなる。
男性(男根)中心主義が生理的に嫌いなので、ラカン派精神分析のファルス中心主義をとことん虚仮にする竹村和子『愛について』第2章とかはめちゃくちゃ気持ち良かったんだよな…… 男性学、めっちゃ好きな可能性も十分にあるし、食わず嫌いする理由もまた十分にある。

・『グッバイ、ドン・グリーズ!』以外に『Summer Pockets』の鴎√とかも、明確に本作をオマージュした作品として連想する。本家が濃厚なBLだったことを鑑みると、美少女ゲーム(ギャルゲー)での男主人公-ヒロインのヘテロ関係のエモさ・ノスタルジーの演出にこれを引用するのはけっこう批評的かもしれない。(そんなことは特にないかもしれない。BLよりもヘテロのほうが安直だし……)

・「死体」の顔をちゃんと(何度も)映すの良かった。『セブン』と好対照。

・線路沿いを歩く冒険とか、夏の田舎の青春ノスタルジーの古典というだけでなく、「才能ある兄(姉)が死んで「自分が死ねばよかったのに」と苦悩する弟(妹)」という超頻出要素の古典でもあったんだ……という驚き。

・『リコリス・リコイル』OP映像(キックのやり取り)の引用元を履修。元ネタのほうがぎこちなく(?)見えたのは苦笑えばいいのか当たり前なのかわからん。

・「田舎」オタクとして観ても、やっぱりアメリカ(オレゴン州)のド田舎の風景にはそれほどエモさを感じない。「"日本"の田舎(のみ)が好き」と認めるのはナショナリストっぽくてイヤなんだけど、そういうことなんだろうか……
いうほど国産アニメで描かれるような日本の田舎を実際に体験しているかと考えると首をかしげてしまうが、生まれ故郷の原風景がいちおう(地方都市の郊外の)田んぼなので、やはりそういうことなのだろうか……それとも、実体験ではなくフィクションで描かれる(日本の)田舎そのものがノスタルジーの対象となっているということか。(『トトロ』『サマーウォーズ』『おおかみこども』……)
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