ボブおじさん

エレファント・マンのボブおじさんのレビュー・感想・評価

エレファント・マン(1980年製作の映画)
4.3
私の身長が極地までとどき 
手のひらで大海をつかめるとしても 
私の大きさを測るものは 
私の魂 
心こそは人の基準なり

27歳の若さでこの世を去った本名ジョーゼフ・ケアリー・メリック(ジョン・メリック)が残した詩の一編である。

19世紀末の英国に実在し、その特異な外見から〝エレファント・マン〟と呼ばれた青年ジョン・メリックの生涯を、濃密なモノクロの映像美で描き切った感動の実録ドラマ。グロテスクな外見の〝象人間〟メリックだが、心は美しく、彼が人間らしさを取り戻していく姿が大きな感動を誘う。

鬼才デヴィッド・リンチ監督の長編第2作で、19世紀のイギリスの雰囲気を見事に再現。一歩間違えればホラー映画になってしまうデリケートな題材を見事なヒューマンドラマとして描いたセンスに加え、後の成功を予感させる完成度の高い仕上がりで、一躍世界にその名を知らしめた。日本でも広く関心を呼び、公開された1981年、興行成績が年間第1位になる大ヒットを記録した。

当時高校生で映画にハマり出した私も当然のようにこの映画を観に行った。だがその動機の何割かは、公開時に話題となった彼の〝この世のものとは思えぬ醜い容姿〟を一目見たいという怖いもの見たさからであった。

だが映画を観るにつれ涙がとめど無く溢れて来た。涙の訳は勿論その悲しいストーリーにあるのだが、もう一つは彼の容姿と対比するかのように美しいその映像によるものだった。

外科医トリーブスは見世物小屋に出演していた、特異な外見を持つ青年メリックに学術的興味を抱き、彼を研究対象にしようと自分の勤める病院に引き取る。メリックはトリーブスやその周囲の予想に反して知性が高く、やがて人々はメリックを人間らしく扱うようになると、メリックもそれまで閉ざしてきた心の扉を開くように。だが心ない見世物小屋の主人は、メリックを病院から再び見世物小屋に連れ戻してしまう。

映画を見ながら、自分の中に潜む醜い心があぶり出されているような気がした。自分は見せ物小屋に集まる群衆とは違うと言い切れるのか?

彼が味わった苦痛と孤独感は筆舌に尽くし難いことだろう。駅構内で彼を追いかけて来た人々の好奇と嫌悪に満ちた視線に向かいメリックが絶叫する魂の叫びに胸が張り裂けそうになる。本当のヒューマニズムとは何か?映画を観るたびに頭巾の中の瞳が自分に問いかけてくる。


公開時に劇場で鑑賞した映画をDVDにて再視聴。


〈余談ですが〉
原作のノンフィクションも読んだが、活字の方が容姿に対する描写は凄まじく容赦ない。ここまで書かなければ、実際の彼を見ていない人には伝わらないからなのだと理解した。

想像を絶する絶望的な状況にあっても、彼は優しさと知識欲と愛への渇望を失わない。エレファント・マンとして生きる運命を受け入れる彼の人間像は圧倒的だ。

映画の中でアンソニー・ホプキンスが演じた実在の医師フレデリック・トリーブスは、彼のことをこう表現している。

〝人間の見本としてのメリックは卑しく嫌悪を催させた。しかし、メリックの精神を、もしも生きている人の形にして眺めることができるとするならば、それは、身の丈すらりと高く、秀でた額、のびやかな四肢、目には不屈の勇気がみなぎる雄々しい勇者の姿であったろう〟