大麦こむぎ

エレファント・マンの大麦こむぎのネタバレレビュー・内容・結末

エレファント・マン(1980年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

大瑛ユキオさんの漫画『ケンガイ』は冒頭こんなモノローグから始まる。

「あのシーンで感動しない奴を信用しない」らしい
その映画のタイトルを知りたい

それがエレファント・マンだった。

トリーヴズが初めてメリックを観た時に何も言わず泣いた意味。人々から「奇人」として見られていたメリックだけど、言葉や相手の表情を理解できる知性がある。そう、メリックは分かっていたんだよ。理解できるが故の苦しさを、想像はできても実際に「分かる」なんて決して言えない。
トリーヴズと出会って、安らげる場所に出会えて、さまざまな親切な人と触れ合えて、本当にメリックは幸せを感じられたんだと思う。この世で一番美しい場所だという劇場に足を運び、大聖堂を作り上げ、友と呼べる人と未来の約束をする。やりたいこと、やってみたかったことを次々に叶えられたメリックは最後に普通の人と同じことを望む。それがメリックにどういう影響を及ぼしてしまうのか、映画の先の話は正確には分からない。だけど、メリックが望んだことなんだ。決して死を望んだわけじゃなくて「みんなと同じようにしたい」を望んだのだということを忘れたくない。

『ケンガイ』の白川さんはトリーヴズの奥さんがメリックと会った時のシーンのことを印象的に語っていたけれど、わたしが印象的だったのは、見せ物小屋で奇人としてメリックを見せ、注目を浴びてお金を稼いでいた興業主とトリーヴズが病院でやっていることは同じなのでは無いかと婦長に言われるシーン。
メリックの元に、一度彼に会いたいと面会人が訪れる。お金を払って見せ物として、というわけでは無いけれど、それでも「メリックを一目見たい」という部分は同じなのだろう。トリーヴズが自分は善人か、悪人か、と悩むシーンが一番印象的だった。難しい。でもメリックは聡い人だったから色んな人と交流できること自体は楽しんでいたんじゃないかなと思うし。ただ、もちろん良い人ばかりではないんだよね。

辛いシーンも多かったけれど観て良かった。