Tully

エレファント・マンのTullyのレビュー・感想・評価

エレファント・マン(1980年製作の映画)
5.0
「エレファントマン」 とは 「像男」 という意味。本作はその 「エレファントマン」 こと 「ジョン・メリック」という青年の波乱に満ちた数奇な人生の話である。「エレファントマン」 という作品名から分かるように、本作の主人公は 「エレファントマン」 こと 「ジョン・メリック」 という21歳の青年である。彼が妊娠4ヶ月の頃、母親が象に蹴り飛ばされたことによって、彼は醜い姿で生まれました。体中に腫瘍、大きく曲がった背骨、そして頭は大きく膨れている。彼はその外見のせいで 「エレファントマン」 と呼ばれます。いつしか彼は化け物扱いされて人間の見せ物となります。見せ物として浴びせられる目線は、どれも心無いものばかりで、次第に彼の心は傷ついていくのでした。なんとも悲惨で悲しい話である。外見だけで判断されるジョンが可哀想で、心が痛む。そして思わず同情してしまう話である。しかし、私は本作の全編を見終わってから、このレビューを書いている。全編を見終える前まではジョンを見て次のように思っていた。初めてジョンを見た時の印象は思わず目を逸らしたくなるような醜い外見に対して 「気持ち悪い」 という感情しか浮かばなかった。しかし、全編を見終わって、今思うとそんな自分が情けない。ジョンを偏見した自分は、劇中で彼を苦しめる邪悪な人間たちと同じだったのである。「差別は最低な行為だ」 とか 「人を偏見するのは愚かな行為だ」 と学校の道徳の授業で習ってきた。だが、いざ不自然な外見の人物を目の当たりにして、人間は差別したり偏見したりしてしまう。人間は理屈の通じないものに対しては違和感を感じる動物だ。だから不自然なものは偏見してしまう。それが自然で普通なのかもしれない。だがそれが自然で普通であってはならない、これは本作に教わったことだ。ジョンはその外見からは想像できない程の優しく清らかな心の持ち主であった。そんな心優しき青年とも知らずに人々は彼を外見だけで差別するのだ。このようなことが自然に普通に行われてはいけない。このようなことを自然に普通にするのは人間として恥ずべき行為ではないか。そんなことを本作に教わった気がする。だがおそらくこの世から差別や偏見は無くならないであろう。上のレビューでも 「外見からは想像できない」 という表現を私は使ってしまった。この表現は明らかに差別である。このように何気なく使う言葉の中には差別や偏見を意味するものが多く含まれている。これがエスカレートしていくと悪口となりいじめにつながるのだ。私たちは何気なく人を傷つけている。つまり差別や偏見は何気なく行われているのだ。人間の悪心がある限り、いや、人間がいる限り差別や偏見は無くならないであろう。本作では 「善」 は極端に 「善」 、「悪」 は極端に 「悪」 として描かれている。しかし、その 「悪」 は別の視点から見てみると、「普通」 とも捕らえることが出来る。上のレビューでも記した通りに、本作で描かれる 「悪」 は人間に当てはまっているのだ。気持ち悪いと思う 「悪」 が 「普通」 なのかもしれない、そういう捕らえ方もあるのだ。ジョンは実在した人物である。心優しき彼のためにも 「差別」 「偏見」 が無い世の中にしていかなくてはいけない。強いメッセージを本作から感じた。本当に醜いのは、「差別・偏見する人間」 なのだ。「差別」 「偏見」 「命」 についてとことん考えさせられる作品です。
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