カラン

ニューヨーク・ニューヨークのカランのレビュー・感想・評価

4.5
90分は面白くない。凡庸なストーリーテリング、他愛のないセット撮影。デニーロがクールな目つきで馬鹿馬鹿しい短気さと、父性に対する異様な脆弱さを晒して、映画としては肝心要のホーンセクションやライザ・ミネリのパフォーマンスに冷や水をかけ続ける。このダメ男ぶりは最後の最後まで続く。良いところなし。あるかもしれないが、あっても水の泡。


しかーし、この映画は90分過ぎから、唐突に良くなる。実に不思議。ナイトクラブでデッカのプロデューサーと会うあたりから、物語が生き生きと進行して、ショットもセリフ以上に饒舌になる。時間はまだ70分はある。駄作が傑作に変貌するには、十分な時間だろう。

暗がりのスリラー的な目のショットを思い返してみよう。ライザ・ミネリが、はっと目を見開いたまま動きを止めて、闇の中で白い眼球が不安に慄いているショットの素晴らしさを説明できますか?妊娠の不安?ダメな亭主のこと?自分のキャリア?説明は簡単じゃない。でも記憶に残っている。力強い演技と力強いショットの証でしょう。書割的なセット撮影による現実の捨象が生んだ効果であり、映画に対してスリラー的に屹立するライザ・ミネリの覚醒のショットは断絶なのかもしれない。ただ、これが何との断絶かはよく分からないのである。そのことはこの映画の欠点と重なっていると思う。

また、ライザ・ミネリをフィーチャーしたミュージカルは映画内映画というオチなのだが、ミュージカルのライブビデオにはできないモンタージュをしたもので、”Happy Endings”という曲にのせたミネリのパフォーマンスも、ミュージカルの演出も素性が良く、スコセッシも無理のないコントロールをしている分だけ、賞を総なめにしたボブ・フォッシーの『オール・ザット・ジャズ』(1979)のそれより望ましい表現であると私は思う。

さらにだ、皆さんご存知、「ニューヨーク、ニューヨーク」はこの映画の恋と別離の物語から生まれた曲なのである。映画内のショーのアンコールで歌われる「ニューヨーク、ニューヨーク」であるが、これは2人の出逢いのホールである。ライザ・ミネリの素晴らしいステージングを堪能して欲しいし、デニーロも邪魔しないで、大人しく観ているし、むしろライザ・ミネリをサポートしている。

ラスト、戻るエレベーターをライザ・ミネリが押し、ボタンが光る。デニーロは右に行くか左に行くか逡巡しているかのようにカメラが振れて、冷たい石畳に離れていく別離の歩みを踏み出す「放浪の靴」を映すのもチャーミングだろう。ホールでの出逢いも反復で、雨の日の別れも反復だ。エモーショナルな表現の厚みは申し分ないだろう。


スコセッシはタクシー運転手の映画が大いに売れて、多大の予算を任されてこの映画の制作に取り組んだが、チケットが売れない。興行的な失敗から本人は抑鬱とコカイン中毒になったそうな。スコセッシに対して同情を感じていうのではないが、映画監督って辛い仕事だね。

Filmarksは上映時間を155分としている。私がGEOで借りたレンタルDVDは163分である。Filmarksの表記は間違ってはいないが、今更誰の為にもならないオリジナル版のことなのである。というのも、そもそもの多すぎる不幸はこのオリジナル版の編集にあったのではないかと思えるからだ。以下に、この映画のwikiの英語版にある、リリースに関する情報を翻訳しておく。

「そもそも本作の公開時には、放映時間は155分であった。本作がチケット販売に失敗したためUnited Artistsは136分に短く切り詰めることにした。そこで1981年の再公開時には、削除されていたシーンを復活させたのだが、それには長い楽曲である”Happy Endings”も含まれていた。最初の公開時にはこの曲のほんの一部分しか公開されていなかったのであった。DVD版の再生時間は163分である。」



追、
レンタルDVDは映像のリマスターはさほどによくないが、1977年のサウンドトラックを見事にリマスターしている。なんと5.1chに編集されている。落ち着いたサラウンドで、やんちゃなところはない。この時代の音声に含まれる棘を綺麗に取って、ごく自然に配置したのか。さすがスコセッシ、リマスターのマスターだ。90年代の作品に近いところまで、調音できている。


追追、
スコセッシが本作DVDに入れたイントロダクションで、これは2人の芸術家の不可能な結ぼれなのだと説明している。この映画の前半が死んでしまっているのは、サクソニストの方の芸術性を模索して、「インプロビゼーションを多めに取り入れた」りもしたが、結局はその瞬間を映像に残せなかったということなのだろうか。この片手落ちは、上で編集のことを問題にしたが、もし編集によって失敗したというのでないならば、脚本を作り切らずに、「インプロビゼーション」などとカッコつけているが、要するに、デニーロの無茶ぶりのアドリブに賭けたスコセッシの失敗となるのかもしれない。「申し訳ないが言葉では説明できない。(自分の言いたいことは)観てもらったら分かるから、映画を観て欲しい。」というスコセッシの話の締め方はどうもきな臭い。
カラン

カラン