レインウォッチャー

パンズ・ラビリンスのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

パンズ・ラビリンス(2006年製作の映画)
4.0
ギレルモデルトロの季節④

もしも『不思議の国のアリス』の直系たる子孫を選ぶなら、確実に入るだろう作品。

デルトロ氏の監督作の中でも代表的な一本。初期のスペイン時代を締めくくる作品だし、後に続く作品群の元型が多く散りばめられている。まさに邪神の母のごとき存在。

しかし何よりも特別なのは、よりダイレクトに氏の「物語論」、つまり何のために物語を綴るのか・映画を作るのか…ということに触れられることだ。

今作は、多くの人にとって悲劇的な結末として受け入れられるのではないかと思う。
本の虫の少女が、内戦後のゲリラ掃討戦の最中という暴力と欲にまみれた現実からの逃避先として空想の世界を作り出す。そしてその逃避行は最も辛い形でしか叶わない…。

もちろんその観点も決して誤ってはいないだろう。
少女オフェリアが現実と空想の狭間で出会う案内人・パンが課す「試練」は、明らかに現実世界の残酷なイベントとどこかしらリンクして進行していくし、そのたび彼女が訪れる幻想世界は様々な危険がありつつもどこか生命感のあるアンバー(暖色)に包まれている。現実世界が寒々しく、ほとんどモノクロームといって良い冷たさに近づいて行く色彩とは対照的だ。

しかし、本当にそれだけだろうか。空想は、物語は逃げ場でしかなかったのか。
わたしは「その先」があるのではないかと考えている。

映画の冒頭で、モノローグはあるお伽噺を語り出す。
「痛みも苦しみもない地下の王国の姫は、それでも地上に憧れて旅立った」のだと。
言わずもがな、地下=幻想=死、地上=現実=生に対応しているのだろう。つまり、地下の王国は決して「終わり」ではなく、次の生への欲動を孕んでいるものとして位置づけされているのではないだろうか。

ループ、といっても良いのかもしれない。映画自体も、開幕とラストは共に同じオフェリアの瞳を映しており、円環構造を強く想起させる(子守唄も。※1)

では、その「次の生」を実現するものは何か。わたしは「選択」だと考える。
オフェリアはパンから託された本に現れる「お告げ」の言うままに試練へ向かうが、それはいわば「誰かの筋書き」に対応しているに過ぎない。だからこそ、各プロセスの結果は決して良いものではなく、新たな過ちを生んでしまったりする。(※2)

加えて、現実世界においてゲリラ兵たちを陰で援助する医師が、オフェリアの継父(※3)にこのような批判を突きつける。
「何も考えずひたすら従うなんて心のない人間にしかできないことだ」。

わたしはこの言葉が、無為な戦争を引き起こすイデオロギーや構造に対して向けた銃口であると同時に、「考えて、自分の言葉であなたの物語を紡げ」と刻んだペン先である気がしてならない。

最後の最後にオフェリアが開けることができた扉だけは、パンの言うなりではなく自らが行なった辛いけれど勇気ある選択によるものだった。
もちろんその行動が常に実るとは限らないけれど、語られた物語を聴いた別の誰かが、また新たな物語を創り出すこともあるだろう。ちょうど、オフェリアが母の胎内にいる弟にお噺を語ってきかせていたように。(それこそが終わりのモノローグが語る「印」かも)

物語はただの逃避先ではない。次の生への力強いベクトルを生むためのものだ。
これはクリエイターの矜持ともいえるメッセージであり、それゆえデルトロ氏は今作に続くどの作品においても現世と異界・現実と幻想に等価の価値を置いていて、結末の選び方においても優劣をつけることをしなかった。

出口のない悲劇ではなく、これは厳しくも優しい「続いて行く」物語。
わたしたちに白紙のページを渡すための物語なのだと、わたしは信じている。

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オフェリア第二の試練において登場する「掌に眼球装着おじさん」こと「ペイルマン」。
きっとデルトロ映画クリーチャー総選挙をやればベスト3はカタイであろう圧倒的インパクトを誇る。いわばデルトロ界の峰竜太である(ごく薄い競艇知識)

なにせ、2017年に刊行された『ギレルモ・デル・トロの怪物の館』の折り込みペーパーにはあの伊藤潤二氏が彼(?)のイラストを寄稿しているのだ。
ソース的には、おそらく我が国の『画図百鬼夜行』に登場する妖怪「手の目」なのではないかと思うのだけれど、目を自分で装着するというワンアクションがエグみとストーリー性を一段押し上げているよね…。

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※1:『クリムゾン・ピーク』にもコピペヤーツ。

※2:いちいち夜這い気味に進捗の督促に来るパンが可笑しくかつムカつくのだけれど、なんとなく映画製作の工程に口出ししてくる偉いさんの象徴のようにも見えて微笑ましい。
 そんなパンはまんま悪魔めいた造形、「あなたの下僕」とか言いながらどこか尊大な口調、常に芝居めいた胡散臭さ、そもそもベースはエロ神様、という最高な設計。

※3:ゲリラ掃討部隊の独裁的指揮官でもある。その冷酷ながらナルシシズムやマチズモの奴隷、哀れさすら感じるキャラクターは『シェイプ・オブ・ウォーター』の所長と生き写しヤーツ。