晴れない空の降らない雨

落葉の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

落葉(1966年製作の映画)
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 イオセリアーニの第2作、長編では第1作。ラジオで政府広報が「計画」「計画」というので、旧ソ連時代を否応なしに彷彿させるが、ストーリーもこの計画に対する批判を込めたものだった。生産計画の達成のために質の悪いワインをそのまま出そうとする醸造所の所員たちに対し、新入所員の主人公が抵抗する。もっとも、こういう話は共産主義に特有なことでなく、企業や役所で幾らでも起きていることだろう。
 
 映画は最初、地方のワイン農家の実録的な映像から始まる。クヴェヴリという壺にワインを入れ、それを床穴で貯蔵するのがジョージアの伝統的なワイン蔵らしい。この冒頭のシークエンスはその後の物語とまったく関係しない。ではなぜこれを置いたのかというと、もちろん都市との対比のためである。つまり、これは「(地方ではなく)都市の物語なのだ」と示しているわけだ。
(それにしても実際にそこそこ都会だったので、失礼ながら驚いた。言っちゃなんだけど、ソ連に組み入れられたおかげだろうね。スターリンの出身地だから優遇されたのかも。日本も道路族の地盤の道路は無駄に綺麗だものなぁ)。

 そしてヒロインや兄貴分の同僚(主人公との関係性はよく分からない)など、幾人かは明らかに「都会人」として表象されており、それが不器用で素朴な青年である主人公と対置されている。

 ラストにおいて結局ニコは、小悪魔的な初恋の人でも年長の友人(関係性はよく分からない)でもなく、ブルーワーカーのオッサンたちとサッカーに興じている。イオセリアーニは、祖国のずんぐりしたオッサンやジイサンに対する愛着を隠さない。彼らの素朴さ、好い加減さ、快活だったり陰気だったりする側面それぞれを愛してやまない。なぜなら、彼らは都市生活者ではあるものの、上記の対比における田舎的成分を多く含む存在だからである。