イトウモ

第十一号監房の暴動のイトウモのレビュー・感想・評価

第十一号監房の暴動(1954年製作の映画)
3.7
活劇かと思えば、メロドラマだった。刑務所と聞くから、アクション・暴力・猟奇・脱獄など期待して見るがそのどれも見当たらない。気になるのは、暴動の首謀者らしきダンといういかにも恰幅のいい、悪ガキがそのまま成人しただけのようなジャイアン風の男が、まず四人の看守を人質として獲得するとき、独房の並ぶ廊下を手前から奥に向かって一直線に駆けるショットがやたらと長く艶っぽいとまで言いたくなる特別さで他とは区別されて撮られたショットである。直後、第十一号監房の柵へと向かう所長が夜の中庭をサーチライトに照らされて歩くショットもまたやや長めに撮られ、ダンの疾走と比して対決する二人の運動を対称に並べたのかとはじめは思ったが見ていくとどうも違う。ダンが望むのは看守たちへの報復でも、暴力によるフラストレーションの発散でも、脱獄による自由でもなく、受刑者としての待遇改善であり元将校の監房仲間「大佐」の入れ知恵で手の込んだ提案書まで作ってみせるから、どうもこれは刑務所を舞台にした虐げられた者たちの反抗を描く社会風刺の劇かと頭でっかちに解釈してみたくもなるがどうも違う。ともあれ、待遇改善所を受け取ったハスケル理事が「君が書いたんじゃないだろうな。言ってることがまるで同じだ」と所長を腐すとき、所長とダンとは敵対者ではなく横並びに立つ同士であることをやっと映画が告白する場面は本作の核をなすはずだ。この同じ刑務所で長い時間を過ごす同士として、決してここを出ることができないダンはその境遇を体現するかのように、暴動の最中でさえ一度もこの第十一監房から外に出ない。やっと彼が初めて出るのは、所長と知事とに承認されたはずの提案書が、州議会で否決されたと告げられるために所長の部屋に呼ばれるときである。二人にしてくれ、と側近の部下を外に出す所長の口調が妙にエロティックであることは見逃し得ない。女性のほとんど登場しないこの映画で、妻たちと再会する人質だった看守たちの場面の直後にこの顔合わせがあることも二人の関係を示唆するだろう。刑務所というひとつの「家」をよりよい環境に改善することをわずかに成功し、ほとんど失敗した二人は束の間、自分たちがカップル(夫婦)であることを映画の観客だけに告白する。「三〇年の追懲」をくらってすごすごと「家」に帰っていくダンが歩む独房の廊下の直線もまた、最後に少し長く映して特徴づけられるを得ないのだ