みかんぼうや

クンドゥンのみかんぼうやのレビュー・感想・評価

クンドゥン(1997年製作の映画)
3.4
【ダライ・ラマの半生を“垣間見る”。歴史的には全く別物と頭では分かりつつ、なぜか頭によぎる「ラストエンペラー」の存在。】

ダライ・ラマ14世の半生を描いた本作。ダライ・ラマのことをほとんど知らなかった私としては、彼の歩んできた道のりを“垣間見る”ことができ、鑑賞前に比べて彼やチベットに対する関心がかなり強くなった点で観る価値は十分にありましたが、映画としては正直なところ、物足りなさも強く感じました。

その物足りなさを一番強く感じたのは、ダライ・ラマ14世自身とチベットの民や僧との関わり合いがあまり描かれておらず、彼が民や僧にとってどれほどの存在だったのかということ、そしてダライ・ラマがチベットの民をどれほど思っていたかということをいまいち感じ取れなかったことが大きいと思います。結果として、後半の亡命の決断やその移動の過程にあまり没入できず、クライマックスとなるはずの大きなイベントに映画としての盛り上がりを感じなかったのかもしれません(むしろ、ややダラダラとした演出に見えました)。

とはいえ、2時間強で幼少期から亡命に至るまでのダライ・ラマを描こうとすると、どうしてもこのテンポになり、そこまで細かく描き切るのは難しいのでしょうね。

また、時代的にもその歴史的背景も大きく異なるので、本来比較するのはナンセンスかもしれませんが、同じ中国大陸で幼少期に最高の地位につきながら、身を追われるその展開は「ラストエンペラー」を自然と意識させるものがあります。「ラストエンペラー」は清国最後の皇帝溥儀を題材としつつも、その時代の歴史のうねりそのものを政治色と歴史色強く描いた印象がありますが、こちらはチベットが取り巻く環境よりもダライ・ラマ個人を中心に描いている印象があるなど、その印象も異なるのですが、どうしても「ラストエンペラー」のほうがその身を追われる辛さや哀愁が色濃く、映画そのもののスケールを感じるのは予算も含めて致し方ないところでしょうか。

映画の舞台となるチベット(実際のロケ地はモロッコだったそうですが)の独特の雰囲気や自然の映像美など、映像は素晴らしかったのですが、個人的にいかにもシンセサイザーで作っ電子音満点の音楽があまり好みではなく、後半で続く逃亡シーンは、この音楽がずっとバックでかかっていたこともあり、それが作品のスケール感を落としているようにも感じました。これも「ラストエンペラー」のオーケストラによるあの名曲たちと比較してはいけないと分かりつつ、どうしても気になってしまったのでした。

マーティン・スコセッシは大好きな監督ですし、「カジノ」から2年後にこの作品に振り切っているあたり、やはり作風の幅の広さを感じさせるのですが(映像には彼らしさを感じるところもたくさんありましたが)、彼の作品の中ではあまり自分好みではない作品だったというのが正直なところでしょうか。人物の半生を振り返り歴史を学ぶような作品は好きなのですが、個人的にスコセッシ作品には、もう少しエンタメ性の高い展開の作品を期待しまうのかもしれません。
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