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クンドゥンのarchのレビュー・感想・評価

クンドゥン(1997年製作の映画)
2.6
『最後の誘惑』を撮る理由は分かる。だが、何故この映画を撮ったのか。
色々調べるとスコセッシ本人に仏教やダライ・ラマへの興味があっただとか、色々出てくる。90年代後期にアメリカではチベットブームが来ていたというのも大きい理由だろうし、信仰はスコセッシ映画において欠かせないものであるから、冷静になると腑に落ちるところはある。

ただあまりにもプロットがない作品で引っ掛かりがない。『ケープ・フィアー』のようなハリウッド的なプロットありきの作品に飽きたから『クンドゥン』はプロットなしで描いたとの事だが、思惑通り一切のエンタメ性のない映画になっていて、正直困惑する。
事実に即して語ることで、ある種フラットな視点からダライ・ラマの人生を描き、インドへの亡命までを描いている訳だが、根本的に政教が一致している社会や子供をダライ・ラマ継承者として祭り上げる仕組みなどを、そのままに受け入れ難い身としてはキツイものがあった。そういう受け入れがたさは狂言回しを挟むことで軽減されたりするのだが、つまりそれをやらない選択をしたことが上記した「プロットなしで描く」ということなわけで、分かってやっていることなのだろう。

砂曼荼羅は素晴らしいし、オリエンタリズムを感じさせない徹底したリアリズムで描かれているチベット描写としては良かったが、やはりどうしても「何故撮ったのか」と思ってしまったのが率直な感想。
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