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クンドゥンのkurageのネタバレレビュー・内容・結末

クンドゥン(1997年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

スコセッシの映画と知らず、たまたま録画していたのを整理するために冒頭を観たら、チベットの砂絵に目が釘付けに。その細密で色彩豊かな曼荼羅は、一瞬にして消えてしまうことは以前から知っていた。
実際に映画のためにチベット僧が描いているのだろうと画面を眺めていたら、転生したダライ・ラマが見つけ出されるところから物語は始まった。

この話はダライ・ラマ14世の幼少期からインドに亡命するまでを描いた物語だ。チベット問題がどのように起こったのか、チベット側から理解ができる。

ダライ・ラマはなぜあんなに世界中を移動し、法話をしているのか、人々から尊敬をされているのか。それがラストシーンのセリフに集約されていた気がする。チベット仏教の世界そのものをとうとう自分のものしたダライ・ラマの、この金言のために、いくつかの問答シーンが用意されており、ダライ・ラマ14世自身が修行と成長の過程を経て「ダライ・ラマ」になったのだということが理解できた。ちなみに、チベット仏教において、問答は修行のひとつだ。

映画としては映像も劇伴も素晴らしい。劇中、チベット特有の祭りや神事の映像が観られるので、民俗的なものが好きな人であればこの豪華映像はたまらないと思う。音響の良い映画館で観たかった。

余談。以前、空港のエアサイドでダライ・ラマ14世御一行とかなりの至近距離ですれ違ったことがある。インテリジェンスあふれるお顔の雰囲気からは想像もできないほど体はがっちりとしていて、僧衣から出た二の腕は筋肉質で、戦うひと、という印象を受けた。付き添いの僧たちも皆体が大きく、チベット僧はいったいどんな筋トレをしているのだろうとそのとき思ったんだった。この映画のキャストのみなさん(調べたら、亡命チベット人によるキャストだった)も相当体がしっかりしていて、映像からも人間の生命力、エネルギーのようなものを感じる。元気のない人が今観るとよい映画かもしれない。

砂絵は一瞬にして崩れるものだけれども、砂絵を描いた時間はなくならない。無常観を理解するには、今からかなりの修行が必要だ……。

追記
数年ぶりにリンポチェの本を読み返している。以前は読み流していた言葉が立体的になり、意味が生まれた。映画も書籍も長い時間をかけるコミュケーションなのだと理解する。
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