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モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイルのnowstickのレビュー・感想・評価

3.4
笑いは何らかの破綻によって成立している事が多いが、映画は巨大な構造物である以上、少しの破綻が命取りになる。よって笑いを目的とした映画は難しい。

これまでに作られてきたコメディ映画は以下の四つに分類できると思う。
①チャップリンの系譜
 スラップスティックと呼ばれるいわゆるドタバタ物で、主にサイレント時代に流行った作法。チャップリンが礎を築き、バスターキートンがそれに続き、日本だとドリフターズ等が取り入れた。
しかし、トーキー時代に入ると動きだけで笑いを取るこの手法は廃れ、現在ではディズニー映画等、一部のアニメ映画を除き、見られない。
②ルビッチの系譜
 スクリューボールコメディと呼ばれる会話劇。不安定な設定と、人格破綻した登場人物により、どこまでも転がり続けるストーリーが特徴。主にトーキー映画初期に流行った手法で、エルンストルビッチが始め、フランクキャプラ、ハワードホークス、ビリーワイルダー、日本だと三谷幸喜や、「カメラを止めるな!」といった作品がそれに続いた。
③モンティパイソンの系譜
 第四の壁を超えたり、映画的な御法度などをボケとして処理する、メタな笑い。モンティパイソンで一躍有名になり、現在でも「デッドプール」や「バービー」などでよく使われ、日本だと「オレたちひょうきん族」が有名。
④タランティーノの系譜
 「映画として全く成立していない映画」をあえて作り、それを客観的に見た観客が、勝手に笑うという構造の映画。もはや、これがコメディのジャンルかどうか?は、よく分からないが、タランティーノが脚本を務めた「フロムダスクティルドーン」や監督を務めた「デスプルーフ」等が有名。敢えてそんな映画を作っている監督は世界中を探してもあまりいないが、日本で酷評されていた松本人志の「R100」とかは、この系譜の映画だろう。

まず、①の笑いは、「人類最古の笑い」とも言って良い原始的な笑いである為、普遍的過ぎて、嫌いな人は特にいないだろう。自分もチャップリンはあまり好きでは無いが、同じ系譜のバスターキートン、ドリフターズや、トムとジェリー、ディズニー、ピクサー等のアニメ映画は普通に好きだ。

②については、濱口竜介監督の「Passion」のレビューでも同じことを書いたが、スクリューボールコメディの傑作は、もはやコメディ映画にする必要性が分からないぐらい、脚本の完成度が高すぎる。これらの作品は、笑いを求めていない観客でも、芸術として普通に楽しめる作品になっていると思う。

問題は、おそらく本作のヒットによって映画界に導入された③の手法である。これに関しては、「バービー」のレビューでも同じことを書いたが、「映画として荒い部分をメタ視点からイジって、ネタとして処理する」この手法は、「どこまでを映画としてちゃんと作って、どこからの破綻をアリとするか?」の線引きがかなり曖昧だ。全体としては、笑いが適度に散りばめられた映画が一応は出来上がるが、作品中の一つ一つのアイデアがまとまっておらず、統一感の無い作品になってしまう。
よって、「とりあえず映画を作成する手法」としては、モンティパイソンのこういった手法は「発明」なのかもしれないが、ステロイドで症状が治ってるだけの状態を「完治」とは言わないように、本作は本当に「完成」しているのか?疑問に思ってしまう。
また、こういったメタな笑いは、演じている役者の私生活をイジったり、同時代の特定の文化圏でしか通用しないネタだったりと、往々にして内輪ノリになってしまっている事が多い。作品が時代や地域をあまり超えない、テレビでの表現だったらアリなのかもしれないが、映画はもっと普遍的な表現を行うべきだと思ってしまう。

そう考えると④の手法の方が、どの時代や地域の観客が見ても「映画として成立していない」と思うだろうから、逆に普遍性があるし、「映画全体として破綻させる」という目的によって作られたことで、逆に映画としては統一されている、とも言えるだろう。

しかし現在において、コメディ映画と言えば本作と同じ③の手法が主流だ。これは「西洋人は自分達の内輪ノリに気づかない」という問題点もあるのだろう。

まあ色々書いたが、コメディ映画の歴史としては重要な作品だとは思うし、見てみるのも良いのでは無いかとは思う。
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