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ワン・フロム・ザ・ハートのsleepyのレビュー・感想・評価

ワン・フロム・ザ・ハート(1982年製作の映画)
4.2
You are my sunshine, my only sunshine... *****


原題:One from the heart, 1981, US, 107min
『地獄の黙示録』のあとにコッポラが放ったユニークな1本。ありふれた物語を新しい衣でくるんだ愛すべき映画。ただし関係者にとっては不幸な結果を招いたために,そこばかり注目されるある意味で不幸な映画かもしれない。

ラスベガスを舞台にごく平凡な中年手前の2人(フォレストとテリー・ガー)がすれ違い、やがてお互い必要な相手と気がつく2日間の物語。そこに謎の綱渡りの美女(キンスキー)とバーのピアノ弾き(R・ジュリア)がからむ。それだけ。ジャンル分けすることにあまり意味はないが、登場人物はほとんど歌わないし踊らず(少しのシーンを除いて)、ミュージカル映画を期待すると肩透かしをくう。踊る場面も夢想の出来事とみる。だいたいからして主人公2人がミュージカル顔ではない(そんなものがあればだが)。

ただし注目すべき点がいくつかあり、映画がストーリーや必然性だけで進むのではないことを思い出させてくれる。まず注目すべきはその映像表現。コッポラは本作のために自身のスタジオ内にラスベガスのあちこちの場所のセットで再現。屋外場面もすべてスタジオ撮影。屋内でも照明が明るくなったり、色調が変わったり、暗転したり・・・。照明の色で時間変化(深夜・朝焼け・夕闇)や主人公の悲しさ・喜び・とまどいを表す手法。赤・黄・緑・青・・・そして黒。その色彩照明の自由さ。そして天井が見える書き割りバリバリの屋外背景、空・・・小道具・ミニチュア・・・

実は本作でコッポラが一番やりたかったことは、「舞台的な」照明を駆使した「演劇」をスクリーンに展開することではないか。最初、左右から劇場の緞帳が開くのはその宣言ではないか。ミニマムで閉じた空気感を表し、また自在な照明表現を駆使することこそコッポラのやりたかったことだと推察。そのためには屋外もすべてセットにしないとコンセプトが一定せず、ロケ場面では照明テクニックの制約を受けるし、画調も統一しづらい(『地獄の黙示録』の過酷なロケの反動だろう)。

反面、本作はきわめて映画的なテクニックも使ってる。ひとつの画面内に別空間のショットをスプリット・スクリーンを使わずに同居させる(同一セット内の美術マジックか?)手法を採りこんでいる。これは後の不遇な佳作『タッカー』でも使われていた。

これらはコッポラと撮影のヴィットリオ・ストラーロの才気とアイディアの賜物だ。ストラーロは『暗殺の森』1900年』『ラスト・エンペラー』『シュルタリング・スカイ』等(ベルトリッチ監督作)、『地獄の黙示録』(コッポラ)と『レッズ』(ウォーレン・ベイティ)等快挙に暇がない。名実ともに現代No.1 撮影監督の1人。

劇中音楽のほとんどがインストゥルメンタルではなく、トム・ウェイツとクリスタル・ゲイルの歌。本作は2人のアルバムの100分PVか?と思わせられるほど効果的で印象的あり物語にマッチしている。とにかく本作の全歌曲はすばらしく胸にしみる名曲ぞろい。

ありふれた物語に地味顔俳優と、徹底的にコンセプトを重視した人工的・実験的手法とが対比された作品といえる。その照明・色彩表現の斬新さや恋のすれちがいのもどかしさ、男女のずるさ・恰好わるさ、キンスキーの猫のような絶世の美貌は楽しめる。彼女の夜更けの綱渡り・ラブ・シーンは、その書き割り・照明の美と相まって本作の最も幻想的なシーンだ。そういえばこれは独立記念日の物語っだった。なお、エレベーターの中の中年夫婦はクレジットを見てのお楽しみ。
みなさんはあんなふうに人前で歌えますか?

★オリジナルデータ:
One from the heart, 1981, US, オリジナルアスペクト比(もちろん劇場公開時比を指す)1.37:1 ,107min. Color (Technicolor), Dolby, ネガ、ポジフィルム35mm

2012年発売の本DVD(102分)は、2003年行われた監督の手による再編集・レストアバージョン(2009年米で発売)。レストアだけでなく、日本での劇場初公開時と異なるバージョン。初公開時は107分。
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